割ピンとステップルの旭ノ本金属工業所 社長&スタッフブログ

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兵庫県姫路市で割ピンとステップルを製造する「旭ノ本(ひのもと)金属工業所」のブログです。
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割ピンとステップルの旭ノ本金属工業所 社長&スタッフブログ-失敗の見本のようなカットです 恥ずかしながら、鉄道写真失敗の見本を公開(後悔)します。


今日20日は本年ラスト2の、ドクターイエロー上り列車の走る日でした。

昼前に、時間がないのでいつもの場所、最寄りの市川橋梁へ撮影に行きました。川の堤防にある、幅が40Cmくらいのコンクリートのよう壁に陣取って撮影ポジションを決めました。予め構図も、ズームレンズの画角も決めました。「今日は先頭車の前面をアップで流しにしよう。あの柱と、あの柱の間に頭が来た時にシャッターレリーズ。」

私の頭の中で準備が出来て、まだちょっと時間があるな。よう壁に腰を下ろして、寒さの中をジッと待ちます。


ちょっと考え事をしたのですねえ。


アッ、そこまで来てる!もう市川の真ん中まで来てる!ふと気が付くとこの有様です。なんせ、1秒間に75mも移動する物体ですから。あわてましたが、僅か3~4秒で、よう壁の上に立つことも出来ず、構図もシャッターレリーズの位置も頭の中で無茶苦茶になったまま、とにかくシャッターを切りました。失敗は、シャッターが切れた瞬間にわかりました。


アー、やってしまった。柱を1本間違えてしまいました。

架線柱ど真ん中。何とも恥ずかしい結果となってしまいました。


見てやってください。笑ってやってください。


本年ラストの28日に賭けてみます。このままでは2011年は終われませんから。


トウジ


私のポルシェが、永いドック入りから出てきて復活したら、一緒にツーリングに行きましょう、と以前からお誘いを受けていました。比較的暖かかった12月もここ数日急に冷え込んできて、各地から雪の便りが届く時節になってしまいました。

ポルシェロードスターを所有するN君。オープンで乗りたいのはやまやまですがこの寒さではちょっと。。。なら、幌をかぶせて。。。真冬でも根性入れてオープンで走るのが良いんだよ。 (他人ごと)

とにかくどこかへ行きましょうといことで、昨日懸案のツーリングが実現しました。


メンバーは、このロードスターのN君、993所有のA君、同じく993所有のY君、そして私もよせてと、フェラーリモンディアル所有のT君、そして私の964を合わせて、5台が当社に集結しました。

私たちは特に、クラブをつくっているわけではないのですが、集まってツーリングをするというのは同好の士として、やはり楽しみのひとつなのでしょう。



割ピンとステップルの旭ノ本金属工業所 社長&スタッフブログ-5台連なって“OLDBOY”をめざす ロードスターを先頭に国道53号線を往く5台。


さて、集まった5台の行き先は、岡山市北区にある“OLD BOY”という主にポルシェを扱うレストア、修理、販売のディープなショップです。


N君の真っ赤なロードスターを先頭に、後に4台が連なっての走行となりました。山陽自動車道を西に向かって、約1時間。岡山北ICから国道53号線を15分弱。目的地の“OLD BOY”に無事到着しました。


ヤー!いますねー。好きそうな人たちが。ムムー、2輪、4輪の族車の団体も。ポルシェ、BMW、国産スポーツカー。車好きな人達のたまり場のような様相を呈しています。


傍らのレストラン横のガレージには、ナローポルシェが2台。そして2棟あるレトロカー展示場には、それこそポルシェ、BMW、国産旧車などがずらり20台ばかり。73カレラ仕様のポルシェがひと際目をひきました。。。これ欲しいなー。アンタだけ特にでしょう!


こんなディープな雰囲気のとこには、あんまり近づかん方がよろしおます。。。毎週でも行きたいワ。


トウジ


割ピンとステップルの旭ノ本金属工業所 社長&スタッフブログ 佐用行827レを牽引して太市~本龍野を往く

今日のC58170号機も2回目の登場です。以前にも触れましたが、170号機は津山から西舞鶴へ昭和45年4月に転属しました。そして、半年間の短い期間でしたが宮津線の客貨牽引に活躍しました。この写真は、西舞鶴に転出する直前の昭和45年3月、姫新線で佐用行827レを牽引し太市~本龍野間を颯爽と走る勇姿です。


鷹取型集煙装置付の姿は津山機関区所属機の定番スタイルですが、西舞鶴へ転属した時に集煙装置は撤去され、スッキリとした姿に戻りました。同じく津山から西舞鶴に転属した113号機と共に、プレートは赤ナンバーになって、一躍人気者となりました。

特に集煙装置を撤去したあと、煙突がカットされたままの113号機とは異なり、この170号機はオリジナルの長さの煙突に復元されましたのでC58本来の姿になり、印象の良いものとなりました。


私はこの赤ナンバーをカラーで撮りたくて、わざわざ高価なコダックエクタクロームブローニーフィルムを買い、リコーフレックスを携えて豊岡機関区を訪問したのも今では懐かしい思い出です。

さすがリバーサルフィルムの強みなのでしょう。撮影から既に40年以上を経た今でも、当時のプレートの赤は色鮮やかに甦ってきます。


170号機。今は山陰本線江原駅すぐそばにある日高小学校に静態保存され、在りし日の美しい姿を今でも見ることが出来ます。


トウジ


このブログに、たつの市在住の知人からコメントを頂きました。

写真の撮影場所は本龍野駅東側、中村第一踏切付近とのことです。今ではこのあたり、すっかり住宅地に変貌しているとか。ありがとうございました。


割ピンとステップルの旭ノ本金属工業所 社長&スタッフブログ-河梨峠への25‰を駆け上る 雨の中、河梨峠サミットを目指して


篠突く雨の中、但馬三江を11時41分に定時発車した326レが、25‰の急こう配を駆け上がってきました。


牽引機は西舞鶴区所属の290号機です。機関士仲間では、蒸気の上がりがいまひとつ、とのことでしたが、湿気と寒気の入り混じった春の雨の中、勇壮な煙を上げ、ドラフトがあたりの山々にとどろく力走です。この日はオハ60系客車、現車6両の荷が重い仕業。

濡れたレールで足を取られないように (空転しないように) と、290号機がカメラを構えた私の横を通り過ぎ、列車の最後部が山の端に隠れるまで見送っていました。


この290号機は千葉機関区時代にお召牽引の実績があるということで、デフの手すりがメッキ仕上げになっていたこと、そして昭和43年正月に訪ねた西舞鶴機関区でキャブに乗せてもらい、機関士席から顔を出して記念写真などという、ささやかな私の思い出のカマでもあります。


昭和45年。津山機関区から西舞鶴に113号機、170号機が転入してきてからは、この290号機の活躍する姿を見かけることも少なくなり、9月30日の宮津線蒸機旅客列車廃止の日を待たずしてひと足先に休車になったのは寂しいことでした。

ちなみに西舞鶴機関区のサヨナラ列車牽引は113号機。せめて西マイでは古株であった290号機に、最後の花道を飾らせてやりたいと思ったのは私だけだったのでしょうか。


290号機、機関車本体は解体されてしまいましたが、梅小路蒸気機関車館で保存されているネームプレートを発見した時、私は遠い昔の宮津線での活躍を思い出し、思わず涙しました。


トウジ