「バターン死の行進」は米軍のデタラメ | 同床異夢

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レスター・テニー氏死去=「バターン死の行進」生存者
 レスター・テニー氏(元米兵捕虜で「バターン死の行進」生存者)米紙サンディエゴ・ユニオン・トリビュー..........≪続きを読む≫

 

 
(これのどこが死の行進?)
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日本軍は世界一規律正しく、心優しい軍隊だった。

「死の行進」などと言っているのは、まさに現在の森友学園を追及している民進党の印象操作と同じ。

 

確かに行進は行ったが、それに「死」を付けることによって「日本軍は極悪だった」とか「悪魔だった」とかの印象を与えている。

「死」を付けた理由は100㎞も歩かせたと言うことらしい。

念のため言っておきたいのは、彼らは全員軍人である。

特に陸軍は1日で何十㎞も歩く行軍(こうぐん)という訓練を普段から行っている。

しかも、装備を持ってである。

 

陸上自衛隊も1日で30㎞行軍などの訓練を日頃行っている。

満州事変やシナ事変を戦った日本陸軍の中には1000㎞を歩いた人もいる。

        (行軍中の陸上自衛隊)

因みに、現在の日本では各地で一般の人が参加できる

「100㎞マラソン」というのもある。

100㎞は「死」をつけるような距離ではない。

 

当時の日本軍には兵士を大量に輸送する手段がなかった。

それより何より、米軍がこうも簡単に降服すると思っていなかった。

つまり捕虜になった数が多すぎたのだ。

そして日本軍も米軍捕虜と同じように100㎞歩いた、しかも武器などの荷物を持っている。

道中には休憩もしているし、水の提供も行っている。

しかし、こんなに多くの軍人が降服すると思っていなかったので物資が不足するのは

当然だった。日本軍は自分たちの飲み水や食料にも苦労したのだ。

捕虜となった米軍は「水や食料が満足に提供されなかった」

などと言っているが、それは日本軍も同じことで仕方がなかった。

また、マラリアや熱射病にかかった捕虜もいるが、日本軍より数の多い捕虜を

率いているので、置いていくしか方法がない。

それを、「残虐だ!」と言っているのが米兵であったレスター氏である。

米軍やソ連軍に捕虜とされた日本軍は、人間らしい扱いを受けていない。

米軍に至っては、殆ど日本人の捕虜がいない。

なぜか?殺されたからである。

自分達の残虐行為は知らぬふりで、自分たちの軍が弱いことを日本軍のせいにして

「死の行進」などと言っている。

 

日本は他国の軍隊に比べて、敵としながらも人のことを思いやる軍隊だった。

これは、日本人の性質と言ってもよい、この性質を築き上げてきたのは日本の風土であり、その風土を作り、守り続けてきたのが皇室なのである。

だから、日本軍のことを「皇軍」といったのだ。

 

降服する前、米軍は日本軍と戦いながらどんどん後退していった。

その後退する道中で、現地の村を焼き払ったり、原住民を殺害したりしている。

こういうことを「虐殺」というのである。

彼らの根底には、「白人以外は人間ではない」という意識が根強くあった。

現在もイスラム圏との対応をみてもその姿勢がうかがえる。

 

我々の先祖を思えば、そんなことをする人達でないことはあきらかだが、その残虐なアメリカ人に洗脳された日本人が、自分の先祖の事を未だに悪く言っている。

レスター氏が亡くなったことについてはご冥福をお祈りするが、これを機に

日本国民には今こそ、日本軍の本当の姿を見直してほしいと願う。

 

彼の著作「バターン遠い道のりのさきに」にはおかしな点も沢山あるが、

自分たちが行った残虐行為を悪びれもせず、堂々と書かれている。

 

今回も最後まで読んでくれてどうもありがとうございました。

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