住民投票を考える その3 〜もうすぐ統一地方選挙〜 | 同床異夢

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少し間が開いたが、前回の続き
住民投票を考える その1

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住民投票というのは、「賛成」「反対」のどちらかの意見しか回収出来ない。
政治はそんなに単純ではないし、国民はもっと利口である。

例えば市役所を建て替えるか補修して使うかを住民投票で決めるとする。
この場合、「建て替える」と「補修」の二者択一しかない。
しかし、「立て替え賛成だけど、補修で耐震強化出来るのなら補修でよい」とか
「補修でよいと思うが、立地条件によっては立て替え賛成」などなど、条件によって
「立て替え」と「補修」の意見が変わってくる。

そういう議論をして話を詰めて調整するのが市議会議員の仕事である。
それを、二者択一しか選択肢がなく、議論もロクに行わずに住民が多数を示した方を
採用するのはあまりにも乱暴だし、それが民のためになるとは思えない。

政治家が住民に決断の責任転嫁をしているように思える。職務怠慢といってもよいかもしれない。
近年、住民投票が盛んに行われるようになっているのは、責任を取りたくない政治家
または、自分で決断する能力がない政治家が多いからではないだろうか?

「市民の政治参加を促し、直接、市民の声を反映させる」

などと寝ぼけたことを公約にしている候補者がいる。

因みに姫路市長は「市民参加の市政」と、言っていたが市民は投票という行動で既に市政に参加しているのだ。
それ以上参加する事はおかしいし、不平等になるのだ。
「政治に参加したい人は、立候補して首長なり議員になりなさい。」というのが
代議制民主主義の基本である。

住民投票や市民参加型の政治というのは代議制を無視している。
全ての住民投票を否定するものではないが、近年は政治家が決断せずに、

「皆が決めたのだから」

と言って、議論もまともにせずに条例を制定するようなケースが多々ある。
議論も出来ない人達がなぜ議員になりたがるのか理解できない・・・
恐らく、就職として考えているのか、又は議員になるのが目的になっている人が
多いような気がする。

住民投票を行う事で政治家が職務怠慢であると言えるもう一つの理由は
例えば小さな市町村では、議論が二つに割れているような問題を住民投票にすると
近所づきあいや自治会内や町内会でも意見がぶつかり、今後の付き合いがギクシャクする
恐れがある。
それがきっかけになり仲違いしたり、いつもなら協力してやっていた事も出来ないように
なるかもしれない。

そういうのを避けるために、議員が泥を被る仕事を引き受けなければならない。
場合によっては、議論に負ける時もある、そんな時は有権者からバッシングされる
かもしれないが、それが議員の仕事である。
政治とは話し合いながら着地点を見つけ調整し、その結果を民に説明する。
当然、その説明に納得が出来ない民もいるだろう。
全員を納得させるのは困難だけど、その努力は怠ってはならない。
議員の仕事は議会での質問事項を作成するだけでなく、民への説明を繰り返しする必要がある。
それを考えると、城崎温泉に何度も通う時間などないのは当たり前なのだ。

どのくらいの地方議員がこのような仕事をやっているだろうか?
恐らく殆どの議員がここまではしていないのではないかと思う。

しかし、それは議員が無責任ではなく、そんな人を選んでいる有権者が無責任という事になる。
市政や県政は我々と密着しているのだ。真剣に考えて投票しないと、議論もまともにできない
議員が選ばれる恐れがある。


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