最近、至る所で、『あれも、これも私がやった。』というのをよく耳にする。
真相は周辺の方々には解っているのだろうが、誰も言わんから痺れ切らして自らが言うのだろうな。
意のまんまである。
『じゃ、あんたの実態は?』と聞かれると『私は○○だ。』とのたまうが、それは、己の実態を証明したことにはならない。
つまり、現代流に申せば、その場に居合わせることによって一個の生命体が認識できるということにしか過ぎないのである。
『貴方の実態は?』と聞いてみても的を得た返答はない。
『では、どういうことで己を認識させてもらっているの?』とさらに問い詰めると、『私は私だから。』という返事しか返ってこない。
つまり、己の規模や実態は世間さま、他人さまから数々教わっているということに気づけないのだ。
翻ってみるに、私達は、世間、他人さまなど多くの自分以外の方々から私という実態を認識させてもらっている。
これを仏教ではご縁と言う。
これも、先に己が存在してのご縁ではない。
ご縁の中に、たまたま、己が居合わせてただけなのである。
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