父が亡くなった。

 

 

発病から8年。

寝たきりになって3年。

胃ろうを入れて1年半。

 

 

誤嚥性肺炎が

直接的な死因。

 

 

父と意思疎通ができたのは

施設に入る前。

 

 

そのあとはコロナで

直接会うことは

叶わなかった。

 

 

オンライン面会ができたが

緑内障で視力を失い、

脳出血で脳に

障害を負った父には

 

 

そのやり取りは

ただただ混乱するもので

ただただ困惑するもので

 

 

そんな

ストレスを与える行為は

そう何度も

する気になれなかった。

 

 

 

 

 

でも胃ろうをつけて

病院から病院に移動する時に

なんとか直接会えた。

 

 

移送をしてくれる業者は

 

「今みなさん、

 こんな時しか会えないので

 同じように集まられます」

 

「どうぞお話ししてください」

 

とわざわざ時間を作ってくれた。

 

 

 

 

 

手に触れて

声をかけると

こちらの方に

顔を向けてくれて

 

 

孫であるいちごの声に

すごく反応した。

 

 

でもその時にも

会話どころか

声を発することも

手を握り返してくることも

表情を変えることも

できなかった。

 

 

会えなかった時間は

確実に父の認知能力を

衰えさせていた。

 

 

いや、

もしかしたら

頻回に会えていたとしても

認知能力は下がっていった

かもしれないけども。

 

 

 

 

 

 

胃ろうにしたことで

施設では

管理しきれないと

近所の小規模病院に

入院することになった。

 

 

でもそこも

直接面会はできなかった。

 

 

東京在住で

別居だかららしい。

 

 

施設に入ってた時点で

母も弟も別居じゃないか

と思ったけど

 

 

施設のスタッフは

担当があるかどうか知らないが

なんならうちの家族より

他人と関わる時間の

長い人たちだったじゃないか

と思ったけど

 

 

そこまで

院内感染を防ぎたいなら

N95のマスクつけるし

医療用防護服も着るし

ちゃんとその分の

お金払うから

会わせてくれよ

と思ったけど

 

 

実際ちょっとゴネたけど

 

 

直接面会はできなかった。

 

 

 

 

 

 

でも今月の初めに

弟から早朝に電話が。

 

 

どうやら

いつどうなっても

おかしくない状態だと。

 

 

帰ったところで

父に会えるのか

と確認したら

 

 

弟が病院相手に

かなり詰めたらしく

本当はダメだけど、と

前置きをしていたが

直接面会ができると。

 

 

すぐに帰省した。

 

 

隣の市に住む姉も

帰省した。

 

 

夫は直接会えないと

わかった上で

それでも

お世話になったから、

と一緒に帰省した。

 

 

その時は熱もなく

喉はゴロゴロしていたけど

そんなに状態が悪そうには

見えなかった。

 

 

15分の面会。

 

 

たった15分。

 

 

だけど会えた。

 

 

触れることができた。

 

 

父が好きでよく聞いていた

高橋真理子の曲を流した。

 

 

わかるかどうか

わからないけど

近況を報告した。

 

 

「今私の髪オレンジなんや」

「青いカラコン入れてるんや」

 

 

と言った時に

 

 

「またお前は

 何をやってるんや」

 

 

とでも言いたげな

顔になった。

 

 

ように見えた気がした。

 

 

なんか大丈夫そうやな

と思って

みんなそれぞれの生活に戻った。

 

 

 

 

 

訃報が届いたのは

それから2週間後の早朝。

 

 

弟の計らいで

直接会えていたから

強い悲しみよりも

 

 

お父さん、

やっと楽になれたな。

 

 

という

少しホッとしたような

そんな気持ちだった。