先日アップした「鉄コレ神戸市電」の話題↓

の中で、市電と並べたバスコレが日野RE100オーバルライトの車だったが、これに関連して写真や資料を探してみたので、以下述べていきたい。

 

 日野自動車のオーバルライトは1970年代の特徴ともいえるもので、今も昔のカタログや広報写真などでも見掛ける機会は多いが、私がバスに興味を持ち始めた頃は周囲のバスでも見てはいたが、今から思えば経年車は廃車が進んだり4灯シールドビームに改造されていたりで「数は多く無く、珍しく感じる存在」だった。地元神戸市バスでも年代的に経年車は廃車済で一握りしか見ていない。なので、ここは趣味の先輩方のお力を借りるとしよう。 

 先ずはRE100三態から・・。上からS43年式、S44年式、S45年式と偶然にも1年毎のRE100が揃えることが出来た。また車体メーカーも全て異なり、上から川崎、西工、帝國である。この当時神戸市は市電廃止が見えてきたことから、市電代替路線向けに数が必要で市バスも毎年それなりの数の新車を入れていた。特に市中心部を受け持つ松原車庫は廃止市電路線も市中心部であることから、その代替で必要数も多く、ゆえに車体メーカー一社では捌き切れずにエンジンメーカーが提携車体メーカーにそれぞれ振り分けていた・・という話を詳しい方から聞いている。

 この頃の日野ー川崎は比較的珍しい方であるが、私は残念ながらバスに偉大な興味を持った頃には神戸市バスでは過去の車両になっており、大先輩方の写真でしか知らない。

 いすゞの印象の強い川崎箱型車体であるが、ウィングマークとオーバルライトでそれはもう「日野車」の顔である。リアの姿は見ていないので何とも・・・であるが、やはりテールライトは日野独特の低い位置に納まっていたのであろうか。その下の西工は再掲写真であるが、サッシの細い前期型の特徴がよく分かる。最後は帝國ボディ。上2枚より緑の部分が明るく見えるが後の更新でライトグリーンに塗り替えられた姿で丁度撮影時期は「神戸博:ポートピア'81」が近づいていたため、センタードアにそのシンボルマークがワンポイントで入っている。これら3台は側面前位の方向幕が空になっているが、1973年に乗降方式が前乗りから後乗りに変更されたために幕もセンタードア上に移設されている。またこの頃構造変更も施工され、ワンマン/ツーマンからワン・ツーマン車に改造された車も多い。

 続いてS46年式(前期)で、この2枚は同期でやはり松原所属のもの。上はS52年式の4灯シールドビーム車と並んだ姿で、低床・標準床の違いはあるがヘッドライト廻りの様子が比較出来よう。またこの年式より「前後ドア」車となり、スタイル的に格好よくなったと感じた。同時に関西地方のバスは前後ドアが主流になっていく・・。下のカラー写真も何度目かの再掲だが、私自身が撮影した唯一のオーバルライト車の824号。局番表記フォントが市電車番フォントの様に角ばったもので、1971年頃までの車両はそうであった。後にライトグリーンに塗り替えた際に通常のフォントに変わった車も多く、これは比較的珍しい例。なお、撮影時期は廃車寸前でよく撮れていたと思う。なお、後位の方向幕が神戸市バス独特の大型方向幕となっているが、これは後の改造で当初は前位同様の窓配置である。またこの頃、ワンマン車の顔にはワンマン灯以外に黄色い「ワンマン」看板も差し込まれ目立っていた。

 さて、このように神戸市バスの場合、市街地向け松原車庫の車は廃車までオーバルライトのままであったが・・。

 この項、上はS45年式で最後の「神戸2き」のグループから814号、その下は同年式で最初の「神戸22か」のグループから819号。どちらも玉津車庫所属で上の814号は新製時はセンタードアのみのツーマン車であったが後に前ドア取付でワン・ツーマン化されている。更にそのタイミングと同時かどうかまでは不明だが、御覧の様に4灯シールド化されている。方向幕は玉津特有の系統幕無仕様。また下の819号、当初は松原車庫所属であったが晩年は玉津に転属、正面方向幕窓が改造により中央に配置、系統幕が廃止され、系統幕・方向幕が並んでいたその最大寸法のHゴムが改造車を語っている。更に転属後にやはり4灯シールド化されている。一番下はコレクションの局内誌「車窓」25号内の記事中写真からで舞子線53系統開通シーンである。玉津車庫でも舞子線向け(53系統開設当時はまだ垂水車庫は無かった。垂水の開業は1976年)はオーバルのままだったのか、改造過渡期の頃か定かではないが、この記事は1974年9月号、上2枚はバックの神姫バスから恐らく1977年頃の撮影と推測できるので、時期が異なり、検証が今一つなのが残念である。因みにこの頃、私はこの沿線だったので、オーバルライトの日野車は見ているはずだが、幼少の頃ゆえハッキリ覚えておらず、ハッキリした記憶が出て来るのは前後ドアになったS46年式(後期)以降である。

 さて、玉津の車が4灯シールドに改造された理由は先の市電模型の記事でも記述しているが、当時の玉津管内の路線は所謂田舎道多数で、街燈や人家も少なく市街地のように明るい街でないことからオーバルライトの欠点とも言われていた「暗い」が押し出され、操業に支障が出ていてことから改造に至ったのではないか?と推測を立てている。

またオーバルライトの欠点「暗い」という表現は古くから知り合いのドライバー氏数名から聞いていた話であるが、今般ブログのフォロワーの方から「暗い、というよりはどこを照射しているか分からない・・と昔運転したことのあるドライバーさんからの証言」ということもお知らせ頂いた。

 

 さて、折角の機会でもあり私が所有しているオーバルライトの日野車を少しであるがお目に掛けておきたい。

 

◇近畿日本鉄道

 我が家に残る古い家族写真からで近鉄バスの「梅田」行5318号。以前の近畿車両の記事でお世話になった浅野氏に再びご登場頂き、この車の素性をお尋ねしたところ、氏の研究調査からS43年式RC300-金産で同年6月に「京2い18-36」初度登録、後1973年3月に写真の「奈22か・121」に再登録、更に1978年4月に「大阪22あ30-55」に変更されていたことをご教示頂いた。蔵書の「金産ボデーのアルバム(ぽると出版)」の巻末生産一覧表から1968年5月製造分で「製作番号14398~14410」で近畿日本鉄道のRC300がロールアウトされていることが分かり、写真の個体はこのうちの1台であろう。

 さて、この写真、撮影は1974年8月26日と親がアルバムに記載していた。撮影場所は信貴山上か生駒山上。実はこのバスに乗る前に丸目2灯の旧い金産と思われるバスに家族で乗っていたのだが、途中で故障したか何かで降ろされ、やって来た代替車がこの5318号だったのである。丸目2灯のバスは小学生になったばかりの私の目にも「旧い」ことが分かったので親に「バスの写真を撮ってくれ!」とせがむも「貴重なフィルムをそんなものに無駄に出来ん」と一蹴され泣きっ面になったことも覚えている。そして乗り換えた後に目的地で降車時に「仕方が無いからこれで我慢せぇ」ということでバスの前に兄弟で集合となり、このアングルの写真を撮られた次第・・。バス1台単体で撮る、という発想は親には微塵もなく、まぁこれでも番号は分かるので良かったと思わざるを得ない1枚であった。よく見ると前面窓視野拡大型で更に左前のセフティウィンドウも付いていた中々面白い1枚である。下は一寸お遊び加工して弟に透明人間になってもらったもの。

 

◇阪神電鉄

 続いて阪神電鉄。銀バスと呼ばれていた阪神バスのオーバルライト車。どちらもRE100形で上はS45年式金産、下はS44年式西工。阪神も西工はたくさん導入している事業者でこの頃はカマボコと言われる42MCボディも多かった。撮影場所は阪神西宮駅前と西宮車庫であるが、上は「3-439」で西宮所属、下は「2-420」で尼崎所属。一番下はオーバルライト部分のアップ。なかなか良い!余談ながら上の近鉄のアップはこれを意識してみた写真であった。

 なお、撮影はこれも趣味団体在籍時代の先輩から頂いた写真である。また、阪神でも後年かなりの車が4灯化改造された、とのこと。

 

◇オマケ 

 

 アートトラックや旧車の世界でも昔から「オーバルライト」は人気で、このライトに換装した個体もそれなりに見掛ける。こっちの世界の方々からは日野ライトやバスライトと呼ばれているが、模型でも実車人気にあやかりパーツが付いている。主にアオシマ製の昭和の自動車キットに見られ、実車でもカスタムカーに見られるセリカやスカイラインなどがそうで、画像はセリカリフトバックのもの。1/24サイズであるので、1/32のトラックキットに流用している作例も見掛けたことがある。今市販されている、超高価なオーバルライト、どこのメーカーか知り得ていないが、このライトを実車でカスタムされている方は照射具合や夜間の見え方などを是非とも聞かせて頂きたいトコロである・・。