日本は"おひとり様"が多くなってきた。

独りでどう死ぬか、どう弔ってもらうか、お墓はどうするかが大問題になってきた。

別に野垂れ死にでも構わないんだが、それじゃ寂しいと言う人はいろいろと考える。

 

 

今健康で独身生活を満喫している人は、よもやそんな事態が訪れるとは考えない。

老後の収入や年金が少ない人は、死に至るまでの生活にも苦労が絶えないが…。

それでも、高齢になり重い病気になったりすると、自分の死後について考え始める。

 

不慮の死の場合もそうだけど、死ぬ間際になったら書類も書けない。

誰かにいろいろと世話になって、手続きをしてもらわなければならない。

行政などの手続きも煩雑だ。考えただけでも面倒くさく、大変だ。

 

親族と一緒に住んでいる人は、彼らがやってくれるかもしれない。

親族がみな死んで天涯孤独になったら、だれもやってくれない。

親族が居ても、疎遠だったり仲違いしていれば、だれもやってくれない。

 

日本の高齢者の孤独死は6万8千人もいて、増加の一途を辿っている。

孤独死とは、独り暮らしの者が誰にも看取られることなく亡くなっていくことだ。

近所で知り合いの一人や二人は孤独死しているであろうというのが、今の現実だ。

 

 

縁者が見つからなければ、行政が替わって死体を焼き、遺灰を骨壺に収める。

そして、その行き先のない骨壺が、市役所の倉庫に満杯になっているそうな。

寺が引き取ってくれたら、場合によっては遺灰をまとめて無縁墓に葬る。

 

色々な考えにも依るが、先祖代々のお墓に入る人はほとんどいなくなってきた。

お墓が遠くて通えないなどの理由で、墓じまいをすることも多くなってきた。

また、寺が何かにつけ高額なお布施を取るので、その費用を払えない人も多い。

 

驚くことに、あの徳川最後の将軍慶喜も、文豪の泉鏡花も墓じまいしたそうだ。

色々な事情があろうが、子孫繁栄の反対、子孫の先細りの結果かと推察される。

これからは、一般庶民に至っては、墓なしの散骨の道しかないかと思ってしまう。

 

死の看取りだけではない。葬祭も死後のお弔いも、全てが淋しくなってきた。

自由を求め、または経済的な理由で、故郷を捨て、核家族になり、単身世帯になり…

そのなれの果てが、この日本の荒涼とした殺伐とした光景である。

 

敢えて身もふたもない言い方をすれば、

今後の日本人は、誰からも惜しまれることもなく、誰からも思い出されることなく、

ひっそりと消え去り、いつの間にか居なくなってしまう道しかないのかなとも思う。

 

野生動物は、自らの死を予感すると、群れからそっと離れていなくなると言う。

山の中の目立たないところに行って、その身を横たえ、静かに死を迎えると言う。

土に帰るという事では、しっかり火葬され葬祭されることと、何ら変わりはない。

 

”姨捨山”ってご存知ですか?

最近、そのまま地名になっているところを見つけました。

そのうち、自分で”姨捨山”を実行することが、日本で流行ってくる気がしています。