文明や科学の進歩は、ひと昔には考えられないような便利さを提供してくれた。

車・携帯・パソコン・テレビ・クーラー等々、今では生活に欠かせない。

それらのおかげで驚くべき利便性がもたらされたが、

みながそれを享受するようになると、ありがたさも感じなくなる。

 

でも問題なのは、こうして便利な生活を送るようになると、

人間の能力はどんどん退化することだ。

世界は、商品を売ることが全てになっているので、

この人間が”退化”しているという事実は、ほとんど語られることはない。

 

携帯やパソコンをすばやく操作することは、一見進化しているように見えるが、

便利さを活用しているのに過ぎず、人の本当の能力は低下している。

ひと昔前の人は、何事も自分の手足をフルに使って仕事をしたり生活したりした。

おじいさんもおばあさんも、職場で家庭で、いろいろな知恵や技を持っていた。

 

本当の力・本当の能力は、自分の手足を使って、

汗水たらして毎日毎日同じことを繰り返して、

自分で絶え間ない試行錯誤をしないと身につかない。

ボタンやキーひとつでやることは、新しいソフトができるとすぐ陳腐化する。

 

まあ、昔の人が伝承して苦労して作り上げた食べ物・製品は、

今はちょっとお金を出すだけで、商品として買うことができる。

ある物を手に入れるのに、技を身につけたり教え合ったり、

時間をかけて作ったりする必要はなくなったのだ。

 

教育界でも、パソコンやタブレットが導入され、

いかにも現代的な教育がなされ、進化しているように見えるが、

実は子どもたちの能力は退化し、やる気も減退し不登校も増えている。

インターネットひとつで、直ちに世界中の知識や情報を得られるのなら、

子どもは学習で、わざわざ鉛筆片手にトレーニングする必要はない。

 

では、どうすればいいのか?

学校で考えれば、例えば自分の手足を使う掃除が、子どもの力・能力を伸ばす。

半日かけてカレーを作るような自然教室の活動が、子どもの力を引き出す。

友だちとの交流・ぶつかり合い・ケンカ・遊びが、子どもの社会性を育む。

もう、教科の勉強はしなくてもいいかもしれない。

 

まさに不便なことだけが、人の能力を引き出し本当の力をつけていく。