電車の中で、この十数年で劇的に変わったことは、

みんなが携帯をずっと眺めていることである。

中には寝ている人もいて、それは昔と変わりないが…。

 

携帯で何をしているかと言うと、まず多いのはゲームだ。

次に友だちとのメールのやり取り。そんなに連絡を取り合う必要があるのか?

次は、何かおもしろい事件はないかと、ニュース記事をあれこれと拾い読みだ。

 

つまり、数十分の暇を、携帯のいくつかの機能で潰しているということ。

それだけ頭に情報が絶え間なくたくさん入ってくるが、疲れないか?

一見時間を無駄なく使っているようだが、していること自体が無駄ではないか?

 

ひと昔前は、電車の中でうら若き女性がつり革片手に化粧をしていたので驚いた。

何故かこの頃見かけないのは、話題になったことで警戒しているためか?

それとも、それが当たり前になって、こちらの方が気づかなくなっているのか?

 

せっかく電車に乗っているのだから、車窓を通り過ぎる景色を眺めないか?

退屈?季節・乗る時間帯によって景色の相は変わり、バラエティーは尽きない。

鉄橋の下を流れる大河の流れは日々変化し、ぼくは決して飽きることはない。

 

車両の中で出会う人々も、当たり前だが、乗る度にメンバーが替わっている。

いろんな服装をして、いろんな仕草をする様々な人間がいる。

眺めていると、景色にしろ人物にしろ、携帯ゲームよりはるかに複雑で奥深い。

 

ひと昔前、寺山修司という劇作家が『書を捨てよ、町に出よう』という本を出した。

そのタイトルを借りて、電車に乗る人々にぼくは訴えたい。

『携帯をしまって、周りを眺めよう!』