今の東京のビルだらけの景色は、美しいと思ったことは一度もない。

どう見ても、ただのコンクリートの箱だ。

明治期の意匠を尽くした西洋館は、それでもまだ見れるかな。

 

江戸の町並みは、残った白黒写真を眺めると美しく、見ていて飽きない。

それをカラーで再現した写真を見ると、人々の息遣いさえ感じる。

今ほど下水道は完備してなかったから、あまり衛生的ではなかっただろう。

それでも、歩く人々の服装と相まって、なぜ美しいと思うのだろう?

 

分かった。それは、建物の材料が自然そのものだからだ。

柱・外壁・格子戸など、すべて木材。大屋根は、土を焼いた瓦か板だ。

お寺や武家屋敷を囲む塀は、土などで固めた築地塀だ。

道は土だから、アスファルトのようにヒート現象を起こしたりしない。

 

建材が自然そのものだから、経年劣化しても味がある。

古くなっても、わびさびの心があれば、美しさは却って高まる。

 

今の ”夢のお家” の壁はサイディングとか呼ばれて、化学的に加工したものが多い。

だから新築直後はきれいだが、数年経っただけで見苦しくなる。

古び方が美しくなく、どうしても安っぽく見える。

 

江戸の街は木材だらけだったから、いったん火事になるとまたたく間に広がった。

火事と喧嘩は江戸の華。

それと引き換えの美しさだったから、はかない美しさだったと言えるかもしれない。

 

今、伝統的な日本家屋を団地の中で建てることはできない。

団地で家を建てる時は、法律で建物の構造や使用する材料などが規定されている。

厳しい防火基準もクリアしなければならない。

 

でも人々は、都会のビルや団地の家に見飽き、息苦しくなり、

わざわざ、川越などの小江戸や街道の宿場町を見て歩く。

やはり、昔の木の家や街並みを見て心が安らぎ、豊かな気分になれるのだ。

 

今、廃棄・海洋プラスチックが環境の大きな問題となってきて、

しばらく経つと土や海の中で、

微生物の力で分解されるプラスティックが開発されるようになった。

 

建築廃材の処分も、いずれ大きな問題となってくるだろうから、

そのうち、土の中に埋めれば自然に分解される建材も出てくることだろう。

その発明された建材は、見てくれがどうだか分からないが、

分解されるのだから、自然の木材に近い物になるかもしれない。

 

どうか新しいテクノロジーでもって、

江戸の家や家並みの美しさに負けないものを創ってほしいなあ~。

そうなれば、人々がわざわざ休日に、小江戸や宿場町に出かけなくてもすむよね。

 

近いうちに日本国民も、街並みの美しさで不動産を選ぶ時代になってくるだろう。