日本は自由主義国家の一員で、

特に戦後は、伝統的なしきたりや慣習の旧弊が次々と打ち捨てられた。

いろいろな価値観がまるでメルトダウンしたかのようで、

今では犯罪以外のことはほとんど個人の自由で、何でもありの世の中だ。

 

その中で、”女装”する男性を目にする機会が身近にも増えてきた。

テレビでは、”おかま”さんと言うのか、女装するタレントが大活躍している。

男が、余興の場ではなく、ふだんの生活でも自ら欲して女装をしている。

そして、彼らに目くじらを立てる日本人は、今は皆無に近い。

 

なぜ日本では、おかまさん達や女装が抵抗感なしに受け入れられるのか?

それは、戦国時代から存在していた”衆道”などの風習が、

歴史的に関係しているかもしれない。

戦には女性を連れていけないから、衆道はある意味必要に迫られて、

発生するべくして発生した現象と言えるかもしれない。

織田信長が森蘭丸という美少年を寵愛したことは、特に有名である。

 

江戸時代には、歌舞伎役者の美少年を金持ちが寵愛する風習もあって、

若い役者が、自ら体を売ったこともよくあったそうな。

でも、そんな美少年たちが好んで女装していたという話は聞かない。

だから、男性の同性愛と女装愛は、”性の逸脱”という共通項はあっても、

あまり相互には関連がないのかもしれない。

意外に、美少年には男っぽい人があったかもしれない。

 

とにかくぼくには、”女装をしたい”という人の気持ちが分からない。

女装は女性がするのが美しいに決まっている。

白髪交じりの男性が髪を三つ編みにして、おまけにリボンを付けたり、

しっかりメイクしたお顔に、夕方ひげが浮き出ていたり、

ワンピース越しにたるんだお腹が見えたりすると、

差別する気持ちはなくても、どうしたって素敵には思えない。

第一ちっとも美しくない。

 

でも、彼らと楽しく会話したり交流したりしていると、

とても優しく、傷つきやすく繊細な心の持ち主だということが分かる。

でも、なんで自ら女装を欲し、女装して仲間の前に姿をあらわしたいのか?

心が女性だから、止むにやまれぬ所業なのか?

彼らは、実は女性に強いコンプレックスを持っている人たちなのか?

幼児期から母親を愛しすぎて、その母親になろうとしている人たちなのか?

う~~~ん、まだまだなかなか理解できません (>_<)