もしぼくがウクライナに生まれていたら、

一も二もなく、ロシアと戦いに行っただろうか?

召集令状に、素直に応じただろうか?

ほんとは、ぼくは絶対に行きたくない。

 

祖国を守る…これは一も二もなく大切なことだ。

そしてこの大義で、自分の命を差し出したウクライナ人は凄い。

本当は恐怖やためらいもたくさんあったろうが、

実際に戦場に行ったということは、自分の死を覚悟したということだ。

 

頭が銃弾で射抜かれ、手足が砲弾で吹き飛ぶ可能性は高い。

太平洋戦争の日本軍兵士は、ほとんど飢えや病気で命を落とした。

ぼくは、祖国のためにそれらを覚悟することはできない。

死を賭けて自分の子を守る母親の様に、祖国を愛し守ることはできない。

 

日本が大戦に巻き込まれたら、ぼくはまごうことなき非国民になる。

赤紙がやってきたら、きっと逃げまどうことだろう。

つかまって、即牢屋に入れられることだろう。

それでも、やっぱり行きたくない。

 

これはぼくだけの気持ちだろうか?

老いも若きも、今の日本人の大多数はこういう気持ちを持っていることだろうと踏んでいる。

ゼレンスキーは凄いが、自分の命を差し出して祖国を守ることには、どうしてもつき合いきれない人間は多いことだろう。

 

だから、ウクライナでも徴兵拒否があるというのは分かる。

誰でも人を殺したくないし、自分も殺されたくない。

なんで、なんのために、そんなことを自分がしなければならないのか?

だから逆に、戦争に勇んで行く人たちの気持ちが、本当はよく分からない。

 

こういうやり方はどうだろうか?

外国人が自国の領土を奪いに攻めてきたら、嫌な気がするのは当然だろうが、

第一自分の命が惜しいので、

はじめは「どうぞ、ご勝手に」と、おもてなしの精神で歓待する。

 

やってきた外国人は、しばらくは勝利感に酔いしれることだろう。

でも、多数派は占領された側の国民だ。

面従腹背で、占領してきた外国人にあの手この手のいじわるをして復讐する。

心の中では、その外国人におもねることなく、みなで結束することが大事だ。

 

やがていたたまれなくなった外国人は、占領をあきらめて逃げ出していく。

ここまで、血は一滴も流していない。

ほらこうすれば、全く戦争をしないで勝利することができるよ。

万歳!!!