JRAにも馬券を買ってバーで飲めるようにしたらおもしろいんやないかな
平和も戦争も人生も

矛盾と葛藤を抱えながら一歩ずつ進んで行く
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「日本人にとって、天地は自然界のことでなくてむしろ道徳的なものの象徴であり、人はこれと同列に配置するものである」(三枝博音)


休暇にANAインターコンチネンタルで待ち合わせをしていた時に、「ジャパンナウ」を読んでいて見つけた一句。すごく心に引っ掛かったので載せました。


今まで色んな本に触れて、心に残った言葉はあるけど、ほとんどが零れ落ちてしまう。だから、そういう言葉を拾い集めるようにしていくのも大事かなと単純に思う。


西洋では、科学の発達が科学万能の世潮を作り、自然はかつての恐るるべき存在から、支配する対象に変わった。自然と共存するという概念は、恐らく主流ではなかったろう。


一方、日本では、古来より人々は四季を愛で、自然を愛し、時に自然の脅威に晒されながら、大いなる自然への畏怖を忘れなかった。僕は、そんな印象を抱いている。


科学信仰は、本来在るべき人間の姿を忘れさせるような気がする。何かがポッカリ抜けているような、曖昧な真空状態。じゃあ本来の人間の姿とは?と問われて、明確に語る術はないけど、敢えて言うなら自然に生き、死ぬ時はまさに土に還るべき生き方だろうか。



ファミコン、マンション、テレビみたいな人工物に囲まれて育った僕は、自然に戻るという感覚はない。でも、いつかは何らかの形で戻ってみたい。自然に対する何らかのノスタルジアがあるのかな。


頭の片隅で死をイメージしながら、いつか「自然に」土に還る。そういう境地に至ったら、死生観も変わるだろう。そんなことを夢想した2008年、冬。
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一方で、自然に対する恐れはおざなりだ。何者も支配できるという人間の奢りよ。
知り合いの社長から告知してほしいと言われたので告知します。信頼できる情報筋からなので、ご安心を。

起業家支援財団からの募集です。

【趣旨】
「将来、事業を起こすことを目標としている学生に対し、選考委員会の選考審査に合格した学生に奨学金を給付するとともに、起業、経営に関する指導・助言およびインターンシップなどの支援プログラムを提供し、将来のアントレプレナーたる人物を支援します。」

応募対象:将来に事業を起こすことを目指している
     大学3年生・大学院生で

     1.神奈川県内の大学・大学院に在籍する学生
     2.神奈川県内在住で、他都道府県の
       大学・大学院に在籍する学生

応募締切:平成19年10月31日(木)

詳しくは以下のURLを参照してください。

http://www.shienzaidan.or.jp/scholar_1sub.html

http://www.shienzaidan.or.jp/index.html

もし興味がおありでしたら、私までメールいただけると助かります。メールアドレスは、hindo009@yahoo.co.jp です。もしくは、MixiやGree、携帯でもかまいません。

また、お知り合いで該当する方いらしたら紹介してください。よろしくお願いします

Deee-Lite - Good Beat (Video Version)
http://www.youtube.com/watch?v=5HGe18rxLNA&mode=related&searh=

現在、研修で沖縄にいます。


昨日は、沖縄料理と泡盛を堪能し、帰りにカフェで話して爆睡。


3時半に起きる。目が醒めた。夜の散歩に行くか。


そう決め込んで、パシフィックホテルを出て、しばし散歩。


夜の散歩はイマジネーションがよく働くもので、あの女を抱いてみたいと酔っ払っていたときに何となく思ったことまで、僕の脳内に確かに体内の疼きとして残っていて、酔っ払ったときに思った物思いさえも遺伝子に刻まれるべき真実なのかとか。波の上神社あたりの海岸の海の漆黒に吸い込まれそうな、何とも言えない感触とか。将来僕はどんな道を歩むのかな、とか。


BGMは、Diana Krall。憂いを讃えた歌声と、あまりにも人のいない夜の海岸沿いのハイウェイ。歩いているときに道端に落ちていたぼろぼろの手袋。蹴り飛ばして、海が見える高台に向かう。高台から見下ろす景色は、黒の原色で、この瞬間があまりにも零れ落ちそうで、ちょっとした感動も消えてしまいそうで。 高台から下りてきて、また手袋を蹴飛ばして、やっぱり現実に引き戻されて。


不確実性に埋没するのをあたかも楽しんでいるのか、それともあたかもうたかたの日々を夢想するのか。夜の物思いは時に救いようがないほどである。


僕は何がしたいのか?多分、夜の散歩のテーマはそれ。上記の戯言は、その外縁を臆病になぞっていただけで、意味はない。ただ意味を構築するだけの作業。本質を捉えなおすための作業であって、別に必要のない徒労と言えばそれまで。


「生きることは、死ぬまでの暇つぶしだよ」。何となくわかるけど、わかりたくない。とりあえず、この答えは保留しておこう。夜の一瞬一瞬は、意味があったけれども、やっぱり今宵書き綴るとどうしても意味が軽くなってしまう。