まずは縄張りを確認しておきましょう。
(パンフレットより)
こちらはら駐車場からの眺め。
公園MAP
城跡公園が1.6kmのウォーキングコースになっているようです。
公園内にはゲートボールの施設があったり
地元の方々の憩いの場になっているようでした。
まず最初に目を引くのは「二層櫓」。
戦国時代末期の時代背景をもとに
外観二層の姿を復元したそうです。
そして櫓の手前には堀が見えています。
ではでは、大手口から進んでいきましょう (^^)/
木橋を渡って門を通ったら…
すぐ左側に櫓の入口があるので中に入ってみました (^^)♪
階段を登りまして…
二階です (^^)/
眺めはこんな感じ。
櫓から降りてきました。
ではでは…
2階から見えた建物を見に行ってみたいと思います (^^)/
まずは櫓を出て左側へ。
こちらは「井楼矢倉」です。
さらに奥へ進んでみることにしました。
左に見えるの西外濠の土塁です。
何の跡かわかりませんでしたが
近くには礎石のようなものがありました。
続きましてはこちら。
関宿城の城門です。
明治6年に廃城となった関宿城の一部が
民間に払い下げられたものと言われています。
門を通った先は主殿がありました。
この主殿は茨城県牛堀町で発掘調査された
「大台城」で出土した主殿遺構を参考に復元されたものです。
大台城は1595年頃に築城されたもので
逆井城と同年代に存在していました。
正面に見える建物は「蕎麦屋さん」なのですが
(地元で美味しいと評判のお店らしいです)
公園の管理事務所も兼ねているようで
お城のパンフレットをいただくことができます (^^)/
こちらは「観音堂」です。
岩井市大安寺にあったものを移築・復元したものです。
1588年の建立時と1845年の再興時の棟札が残っています。
天正期特有の様式をよく残している貴重な建物だそうです。
ではでは…
さらに奥へ進んでみましょう。
堀や土塁が残っていました (^^)♪
まずはこちら…
パンフレットに「古城」と書かれている曲輪です。
ここにも案内図がありました。
こちらは古城のすぐ近くにある「鐘堀池」です。
現地解説板によりますと…
1536年3月3日、ときの逆井城主逆井常繁は
北条氏康方の大道寺駿河守の城攻めに敗れ戦死しました。
この時、城主の奥方(又は娘)は先祖代々伝わる釣鐘をかぶって
この池に飛び込み自殺したそうです。
この池はどんな旱でも水が涸れたことがないと言われるほど湧水が豊かで
城の生活水を賄うために掘られたのではないかと考えられています。
古城→鐘堀池→…と進んでいきますと
「一曲輪(本丸)」に到着しました (^^)/
本丸にあった祠。
別角度からも1枚。
その周りには土塁も。
本丸の外から櫓門を撮影。
この櫓門と橋は逆井城跡の発掘調査の成果をもとに復元されています。
橋の遺構は礎石・男柱・支柱の穴が見つかっているそうです。
復元に当たっては遺構保存のため
旧柱位置よりも西へ1m、北へ50cmずらされています。
形については資料を基に戦国時代末期の姿を想定しているそうです。
橋は本丸と東二の丸を繋いでいます。
橋の下に降りてみました。
別角度から1枚。
櫓門と橋の近くには「逆井城」の石碑があります。
こちらは「東二曲輪(二の丸)」。
「横矢橋」
「横矢掛」
…と、こんな感じでしょうか。
三の丸はゲートボールの最中で見学できませんでした (>_<)
最後に二層櫓を眺めて。
以上、逆井城レポでした。
1590年、豊臣秀吉による小田原征伐に伴い廃城となった逆井城ですが
戦国末期の築城技法が駆使された遺構は見応え充分です (^^)/
(2015年1月25日登城)