私は、母親からネグレクトを受けて育ちましたので、食べ物はもちろん
自宅でのまともな教育は一切学べませんでした
私の母親は、何時も自宅にはおらず
オムツやミルクが必要な私を朝から夜まで放置していました
お陰様でミルクも水も飲ませてもらえないので、オムツが汚れません
それが母親に取りましたら嬉しい事だったみたいです
オムツを汚しましたら、私はおもいっきり顔とお尻を殴られました
そんな環境で生き抜いて来ましたが、お箸の持ち方や整理整頓の仕方はもちろん、母親は私に対しましてのしつけや教育も全く無関心でした
私が転んで膝に怪我をして血を流して泣いて帰って来ても、家が汚れるやろ!
上がるなと怒鳴られ、自宅の外の
バケツの水で膝に付いた血を洗って服で足を拭いて自宅にそっと上がらせてもらってましたが、当時の私はまだ私は3歳にもなっていませんでした
深い虐待を受けて育った子供は
幼少期の記憶は鮮明に持っています
ですから、私はふとしました事で、手を抜いてしまう事があるのです
でもそれらは母親の責任だと思い、それを直そうとはしませんでした
だって私がだらしがないのは母親の責任ですから
それを先日、母親が亡くなるまで
自分がきちんと出来ないのは、母親の責任だと自己言い訳をし、納得していたのです
でも今回母親が亡くなりまして、自分の怠慢な箇所が母親の責任に出来なくなったのです
何もかも親の責任に出来なくなったのです
私は、自分の意見は一切聞いてもらえず、顔や唇を執拗に殴られ、食事も無く真冬でも薄い下着一枚で夏布団に寝かされていました
そんな環境でしたので、私は誰よりも擦れた性格に育ち、常に母親を恨んでいました
父は私にピアノを習わせたかったのに母親が大反対
乞食に何でピアノを習わすんや!と両親は大喧嘩を延々と続けていました
ピアノが弾けないのも母親の責任
字が達筆でないのも母親の責任
体が弱いのも母親の責任
自分の性格が歪んでいるのも母親の責任
なんでも母親の責任
そう思う事で私は自分の心を一人で慰め、そして一人で自分を褒めて生き抜いて来ました
それは、何でも母親の責任にすれば
苦しい今を乗り越えられるからでした
所が…
その母親が亡くなりました今
もう誰の責任にも出来ない事に私は気づいたのです
親がいなくなった瞬間に、全ては自己責任となるのです
私は長い間、時間を無駄にしてきたかも知れません
母親を恨むエネルギーかわあるなら
もっと何か自分で満足出来る穏やかな事にその時間を使えば良かったと
最近思う様になりました
私は四人家族でした
でも、今は一人となりました
私は両親と兄を見送りました
この文章を見ても、まだ実感が湧きません
とにかく、自己責任
これから私は自分を変えて行こうと思います
母親を恨むという甘えの中に
自分が書き消されていたような気が致します
これからが本当の自分を出す時だと感じます
一人になってしまいましたが、これからは一人の良さを体感して行きたいと思います