ある冊子を読んでいましたら、文章は少ないのですが、内容が大変素晴らしく、全てが私の腑に落ちる言葉が綴ってありましたので、その文章を書かせて頂きますね。
今の時代
この様なお話はもう必要ないかも知れませんが、私は凄く大切だと思いました
智慧(ちえ)と慈悲
お釈迦様は、人間が苦しみから逃れ得ないこの世界を「苦の娑婆(しゃば)」と呼び、人生の厳しい定め、根源的な苦しみである「生老病死(しょうろうびょうし)」の四つの苦しみ「四苦」と、どの様に向き合い、さらに「愛別離苦」「怨憎会苦(おんぞうえく)」「求不得苦(ぐふとくく)」「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」を加えた八つの苦しみをあるがままに受け入れ乗り越えていく生き方を説かれました。
それは仏教の二本柱である「智慧」と「慈悲」の実践を持って生きていく菩薩の道です。
「智慧」とは、勉強が出来るとか知恵が豊富だというような事ではなく、我見.我執を離れ、正しく物の道理を見極め、全ての縁によって生かされている心理に気づく能力といえます。
私達は目の前の出来事だけを捉えて、幸せだ、不幸だと一喜一憂しています。一方、他者の苦しみや痛みを自らの痛みとして実感出来ないまま、日常を過ごしているのではないでしょうか。
全ては、我見. 我執に囚われている自分の心が作り出していることに気付くのが「智慧」の働きだといえます。
一般に「慈悲」といわれますが、「慈」と「悲」はもともと別の言葉でした。
「慈」はインドのサンスクリット語でマイトリーといい、同胞、兄弟、友から派生した言葉で最高の友情をいいます。
「悲」はカルナーで、呻き(うめき)、哀れみや情け、同情を意味する言葉です。
この二つの言葉が合わさって「慈悲」(与楽抜苦(よらくばっく))と漢訳されました。
「慈悲」とは、慈しみの心を持って人々の苦しみを除き、安楽に導いていく菩薩行といえます。
と、ありました。
今は自分が生きていく事で精一杯の人が増えて来た様に感じます。
恩ある我が親の命さえ平気で奪う我が子の事件も度々
そして戦争…
上記の冊子の内容とはかけ離れた現実が今を駆け巡り始めていますね
私はそれが残念に思われて仕方がありません
この文章の内容は、全てではありませんが、私が幼少期の頃 菩提寺の住職様が話された事を記憶しています
住職様は幼いながらに、何て素晴らしい事を話される人なんだろうと
感激しました事も思い出されます
一人でも多くの方が、人の為に何かお役に立てればという気持ちをお持ち頂ければ、また少し世の中の流れは変わるでしょうね
…
そんな事も想いながら、本日のブログを書かせて頂きました