京都の町屋でも、空き家は増え始めています
私の実家は、京都市中京区にあります
中京区は昔からの京都の町屋が多く、現在も高齢者の方が沢山住まわれていますが、私の実家の両隣は既に空家となり、先日斜め向かいの家のご主人様がお亡くなりになられた為、奥様は実家へ帰られ
また一軒空き家が出来てしまいました
ほんの二十年前までは、家が空いても直ぐに借り手が付き、ご近所の大工さんも大忙しで、本当に活気のある町でした
所が、町屋にも時代の流れが入り込んで来ます
オール電化や、空き地に新築の家が建ち並び、町内には全く知らない若いご夫婦が増え始めます
町内の古い空き家は、老朽化が進み、手を加えなければ、住めません
塀の内側には小さな坪庭がある、日本家屋の小さな町屋
その多くが借家です
家賃は安いですが、家の修理は全て住人の支払いとなります
ですから、新しく町屋に入居するには
傷んだ家を自腹で修理してからとなる為、借り手が付かなくなっているのです
それは大変淋しい事ですね
私が京都の実家を大切にするのは
父が長年この家を手直しし続けて来たためです
築年数がかなり経った私の実家は、修理代に新築の家が一軒建つくらいの金額を支払っています
また、父が亡くなりました後も、私が修理代を出し、家を守っています
でも、今はお子様がおられない老夫婦の方もおられ、また老々介護も増え、施設に入居されるご夫婦もおられる為、家の修理めた出来ず空き家が増えるのですね
私の実家は、ご近所の皆様に守って頂き、植木達ちも本当に元気です
団栗の木も新しい葉っぱが芽吹き、私の実家は活気に満ち溢れています
でも、この植木のお世話を無償でして下さるのはご近所の壮年期や老年期の皆様です
皆様が居て下さるからこそ、私は実家を空けて名古屋に安心して住めています
でも、私の実家の周りにも、時代の波がやって来ています
それを受け入れていかなければいけないのですね
その、時代の波が思い出を全てさらっていく日が来ても、私の胸の中には、京都の町屋が刻まれています
私は、本当に素敵な時代に生まれました
思い出が一杯作れる時代です
今ある町屋を目に焼き付けておきたい
そんな事を深く思い、京都を後にしました



