昨日は 少し私の事故体験のお話を書きました
私の記憶には父の顔しか残っていません
本来なら 我が娘が事故にあったら 母親が一番に飛んで来るでしょうね…
私ならそうします
怪我はどうか? 怖くて震えてないか?女の子だから顔は大丈夫か?
でも 私の母は
私の顔を見るなり
飛び出したあんたが悪いんや 運転手さんも いい迷惑やわ
あんた 謝りなさいや
でした
ですから 自宅に謝罪に来られたトラックの運転手さんに
申し訳ありませんでしたと 謝罪をした記憶があります
父に顔がそっくりの私は 父にかわいがって頂きましたが
それが許せなかった母の嫉妬心は尋常ではなく 食べ物を与えない お風呂に入れない 罵倒を浴びせる
顔を思いっきり叩く
でも 体の弱かった兄は母に溺愛され 何でも十分与えられていました
小さいながらに この差別はおかしいと思いましたが 多分私は四歳くらいでしたから 言い返すことは出来なかったですね
死にたいと思い始めた四~五才時代
何度も首を吊る練習をしました
早く死にたかった
でも その度に 父の顔が浮かびました
手もあかぎれで血だらけで 真冬でも素足で薄着でした
家の中は豪華なのに 私は貧弱でした
私が困った人や寂しい人をどうしてもお助けしたいという思いの根底はここにあります
父が出張中は 私は誰にも助けてもらえなかった
守ってくれるべき母は存在せず ずっと安心できる押し入れの中のお布団に隠れていました
母が恐ろしかったですね
嫉妬心は 人を鬼に変えるのですね
命を絶たず 今の位置に存在できている自分に 私は感謝しています
我が子を授かり
可愛がって育てる体験が出来た事も
本当に幸せを体験出来たと感じれました
私の人生の課題は
この母親を許せるかでした
これは既にクリアしています
ただ 前にもブログに書きましたが
もし出来るなら
タイムスリップし
四才の私を見つけ出し 連れて帰りたい
あまりにも背負った荷物が大き過ぎた私
本当に可哀想に思えました
こうして第三者的に自分の過去を 観れる今 やはりこれからの私の人生は お困りの方や 寂しくて辛い思いをされておられる方に 優しさや勇気をお渡し出来ればいいな…
それが 私が歩んで来た 試練の 意味を含めた答えだと思うからです