お金に触れる | kumikoのブログ

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吉田九美子(四柱推命鑑定士・医学気功師・除霊師九氣.遠隔治療技術士)は、人のお役に立つためのブログを書かせて頂いております。人生の歩みの方向性を見失われた方、霊に悩まされておられる方等、様々なお悩みを解決し、アドバイスもさせて頂いております。

今回 生まれ年の五円玉を探す事で 久し振りにじっくりお金に触れることが出来ました

何だか懐かしいような そんな気持ちが湧いて来ます

私は、小さい時 貰ったお小遣いは貯金箱に入れて貯めていました
いくら貯まったかが知りたくて よくお金を数えたりしていました

昭和40年代は コンビニなんてなくて
お菓子を買う場所は 駄菓子屋さんでした
十円玉一枚で
一つ一円のキャラメル五個 一枚二円のお米のおせんべい 一枚 一枚一円の塩煎餅三枚

これだけが買えました
当時は十円玉一枚で 1日を十分楽しみ 過ごす事が出来ました
私達の時代は 幼少期から自分でお買い物をし 「やりくり」を実践し覚えます

一円玉一枚でも
堂々とお菓子が買えた時代を過ごした私

スーパーで 一つ百円のチョコを 子供にさっと買い与えているお母さんを見て
子供に選ばせてあげてもいいのにな…
お母さんは、何をそんなに急いでおられるのかな…
ふと そんな事を思いますね…

やりくりが身につかずに育った子供達

お金の価値もあまり分からず お金を頂いても 当たり前のように使い切ってしまう

私はいい時代に幼少期を過ごせたような そんな気が致します
子供に全く関心のない母親の元に生まれたお陰で 怪我をしても 自分でお薬を塗り 病気になったら赤い色のお薬を飲み
朝、お膳の上に置いてある十円玉を持ち 七才でしたが 遠く嵐山まで 自転車で探検に行ったり 山陰線の線路を千本蛸薬師からずっと二条駅まで歩いたり 秘密基地を作ったり 私を心配してくれる大人はいませんでしたので 自由に 探検や体験が出来ました

七才の夏
何故か道路に飛び出してしまい 材木を積んだトラックにはねられました 跳ね上げられ落ちた所が畑でしたので 足の捻挫と打撲で済みました
後一歩 遅くても早くても 前後のタイヤに巻き込まれ 即死だったと言われました

救急病院に来てくれた父の顔は 今にも泣きそうな 安堵したような そんな顔でした
看護婦さんから私を受け取ると ぎゅっと抱きしめて下さりました

「九美子 死ぬところやったぞ
よかった…」

その時の父の声… まだ私の耳の奥に残っています。私は心配して貰えたのですね


ごめんなさいね
十円玉や五円玉を手に取り、ゆっくり見ますと 当時の私の歩みを ついこの間の様に 思い出してしまいました…