清らかな心の犯罪者の物語は実際の事実を構成して物語にしています。フィクションではありませ。
『声なんて なくても
涙は 勝手に落ちていくんだね
頬を流れるその温かさに
気づいたとき
胸の奥で 信じていたものが
ひび割れていった
――もう 終わりなのかな
そう思ったけど
どこかで まだ信じてる自分がいた
たとえ壊れたとしても
拾い集めたら
いつかまた つながるかもしれないって
小さく灯ったその思いが
俯いた顔を ゆっくりと上に向かせた
涙を拭った手の先に
ほんの少しだけ 希望を下さい』
朝、6時45分。
房内の薄暗い天井に取り付けられた小さなスピーカーから、静かなクラシック音楽が流れはじめた。
外はまだ夜の名残を抱いた2月の空。
冷え切った空気が、鉄格子の隙間から微かに入り込み、少年の頬を刺す。
──「起床」
放送の一言とともに、少年刑務所の一日が始まる。
6時50分。
廊下に革靴の音が響き出す。
「点検―――!」
刑務官の声が、無機質なコンクリートの壁を揺らす。
少年は布団をたたみながら、昨夜の夢のことを思い出していた。
それは、裁判所で聞いたあの言葉。
「君の人生を守るための時間です。6か月…しっかり考えてみてください。」
あのとき、自分を裁いた裁判官の目には涙があった。
「なぜ泣くのだろう」と思った。
罪を犯したのは自分なのに。
「称呼番号!」
引き戸の前に立った刑務官に向かって、順番に番号が名乗られていく。
「34番!」
声を出す自分の番号。
それは“名前”ではない。
過去まで奪われてしまったような数字。
同じ房には、目を合わせられない自閉症の少年、真っ直ぐな視線とやさしい笑顔を見せるダウン症の少年がいた。
誰も話さない。
朝は、全員が静かに呼吸を揃える時間。
まるで、“社会から取りこぼされた少年たち”だけが並んでいるようだった。
少年刑務所での朝と夕食は、食堂ではなく雑居房の中で行われる。
僕が収監された房は、6人部屋。
寒い畳の12畳の雑居房の部屋に、冷たい畳の上に敷かれた薄いマット。その中央に、折りたたみ式の背の低い長机が一台だけ置かれていた。
机の周りには、似たような年齢、似たような表情の少年たちが、静かに腰を下ろしている。
僕も、その輪の中に加わった。
支給された薄い座布団に座ると、背中から底冷えがゆっくりと這い上がってくる。
着替えも、下着も、パンツも、すべて「管用」のものだ。
私服とは程遠い、色あせた灰色と青の中間のような服。
持ち込めた私物と言えば、刑務官に許された石鹸と歯ブラシだけ。
「新入り」
刑務官は、そう呼んだ。
房の引き戸が開くと、身分張を手にした刑務官が入ってきた。
革靴が床を打つ音が大げさなくらい響く。
「○○〇号。氏名、生年月日、年齢――確認しろ」
僕は立ち上がり、自分の情報を、まるで他人のものを読み上げるように請合った。
少年刑務所では、新しく収容される者のことを、刑務所用語で「垢落ち(あかおち)」と言うらしい。
拘置所での分類を終え、ここへ送り込まれた新入者という意味だという。
更に言えば――
“外の社会の色を落とし、ここから更生の色を与える”
そんな意味も含んでいると、後で聞いた。
僕が席につくと、向かいに座っていた少年が小さく会釈した。
「ターくん」
そう呼ばれていた。
僕と同じ、自閉スペクトラム症の子らしい。
目を合わせるのは少し苦手なようで、視線が机の端をさまよっている。
口を開く少年はいない。
朝食の時間は「食べる時間」であって、「話す時間」ではないのだ。
初めて房の中で朝食を摂ったのは、収監の翌日の朝。
けれど、僕がこの房に入ったのは、その前日の夕方だった。
夕暮れ時、補導された者よろしく、静かに房の前に立たされた。
そのとき、すでに炊場(すいじょう)──食事を作る工場では、夕食の配膳が始まっていた。
ステンレスの配膳車の金属音だけが、やけに現実的で。
扉が閉まる直前、刑務官が言った。
「……ここからの時間は、お前自身が考える時間だ。
怖がらずに、しっかり生きろ」
その言葉に返事はできなかった。
ただ、机の前に座るターくんの視線と、ほんの一瞬だけ交わった。
その目は、静かに言っていた。
「ここには、お前だけじゃないよ」
――そう感じたのは、もしかしたら僕自身が、誰かにそれを言われたかったからかもしれない。
プラスチック製の蓋付き器が並んでいた。
刑務所内ではこれを「もっそう」と呼ぶらしい。
その日の夕食の献立
麦と白米の7対3炊き(白米3麦7?)、味噌、大豆とさつま揚げの煮物、塩昆布とキャベツの和え物、ごま豆腐、そしてお茶。
シンプルだが、どれも心を落ち着かせる色と形をしている。
ご飯の量は、僕の刑務等級によって決まる。
1等、2等、3等…とあり、僕は3等らしい。
それでも、おかずは全員平等に配られる。
つまり、煮物のさつま揚げも、ごま豆腐も、キャベツの和え物も、同じ量だ。
ご飯の量が違うだけで、味や栄養の格差はないのだと、刑務官は言っていた。
配膳が終わると、刑務官の声が静かに響く。
「食べろ」
僕は箸を手に取り、まず麦入りご飯をすくう。
半炊きの白米が口の中でほろほろとほどけ、味噌の香りと煮物の甘辛さが交互に押し寄せる。
キャベツの塩昆布和えのしょっぱさと、ごま豆腐の柔らかさが、体の芯をゆっくり温める。
ターくんは、静かにご飯をかき込みながら、僕に一度だけ目を合わせた。
その視線は、言葉にならない優しさを持っていた。
「こんなにも、均等に配られるものがあるのか…」
僕は思った。
社会ではいつも“差”ばかり見てきた。
お金、家、身長、成績。
ここでは、ご飯の量こそ違えど、おかずの平等は絶対だ。
それだけで、なんだか安心した。
食べ終わるまで、誰も話さない。
箸の音と、もっそうの蓋を閉める小さな音だけが、房内に静かに響く。
もっそう(属語)
小さなバケツに似たクリーム色の蓋付きのプラスチックケース法務省指定の食事配膳用食器、学校給食の形式に府づいする。
「垢落ち(あかおち)」(反社会的用語)
起訴後に公判によって判決を受けて刑に就く言葉の反社人用語



