違和感を感じたら  
どうして人を思い通りにコントロールしたくなるのか


 



ふとした瞬間に、  
「こうしてくれたらいいのに」  
「どうしてこの人は分かってくれないのだろう」  
そんな思いが心に浮かぶことがあります。

その想いが強くなると、  
知らず知らずのうちに「相手を思い通りに動かそう」としてしまうことがあります。

でも、そのとき私たちは本当に「相手」を見ているのでしょうか。

もしかすると、  
その奥には「不安」や「恐れ」――  
そして「愛されなかった記憶」や「傷つけられた過去」が、  
ひっそりと隠れているのかもしれません。

人をコントロールしたくなる気持ちの根底には、  
「自分が安心できる状態を保ちたい」という願いがあります。

相手が自分の思う通りに動いてくれれば、  
不安にならずに済む。  
傷つかずに済む。  
見捨てられないと感じられる。

それは、子どものころに経験した「傷つくことへの防御反応」が、  
大人になった今も形を変えて働いている場合があるのです。

スピリチュアルな視点で見ると、  
コントロールとは「魂のリズムを信じられていないとき」に現れるものです。

人の成長も、気づきも、魂の学びも、  
すべてその人のタイミングで起きていく。

でもそれを待てないとき、  
私たちは「変わってほしい」と願い、  
時には正しさを振りかざして相手を動かそうとしてしまいます。

タロットでは、「8 正義」が行きすぎると、  
「コントロール」や「裁き」へと傾いていくことがあります。  

本来のバランスを越えて、相手を正そうとする動きになるのです。

「5 法皇」もまた、信念の押しつけになったとき、  
真実を伝えるよりも「支配」に近いエネルギーとなります。

そして、「15 悪魔」は、  
「相手を変えなければ、自分が安心できない」という依存や執着の鏡でもあります。

コントロールしたくなるとき、  
それは「本当は自分の内側がぐらついているサイン」。

自分の不安を相手の行動で埋めようとする前に、  まずはその不安を、優しく見つめてあげること。

「私は何を恐れているんだろう」  
「本当は、どんなふうに感じたかったんだろう」

その問いを通して、  
あなたは相手ではなく、自分自身と向き合うことができます。

人は、思い通りに動かなくてもいい。  
あなた自身が、自分の感情と丁寧に関わっていけば、  誰かを変えなくても、もう揺れなくなる。

タロットはこう語ります。  
「他者を変えようとする時こそ、自分の魂の調律に戻ってください」  
「本当の安心は、外ではなく、内にあります」

違和感を感じたとき、  
それは「誰かが悪いから」ではなく、  
「自分の魂が、新しい自由に向かおうとしている証」です。