昔から本はよく読んでいた



それでも、

『年間100冊読んでます』

なんて言う人に

羨望の眼差しを向けるくらいの


1ヶ月に1冊本を

読めてたらいいかな

くらいの程度で

生きてきていた


マンガ本を読んでることの方が

多かった

(今もLINE漫画をかなり

読み漁ることもある)



そんな私がおよそこの半年の間に、

月に5〜10冊ほどの本を

同時並行で読み漁っている。


自分でも驚くほどの

読書量で、

よくこんなに読めるなとも

思うくらいに集中力が

みなぎっている。


本だけではなく、

ブログや漫画本も

尋常では無い量を

インプットしている状態。


はて?

私はどうなっているのかな?

と自分で自分が不思議で

仕方がない状態が

続いている。



でも、

それは今の私には

すごく必要なんだろうな

という感覚がある。


むしろ、

本が読めない、

時間が取れないと

モヤモヤすることに気がついた



『早くあの本が読みたい』


『少しでも時間があるなら

あの続きのページを開きたい』


図書館に借りにいく

時間があるのなら

Amazonやメルカリで購入して

読みたい



そんな衝動がある



しかも、

今まで読むことがなかったような

いわゆる

THEスピリチュアル



自己啓発は好きで

よく読んでいたなかで、

それよりも

重いというのか

他の人にこのタイトル見られたら

どう思われるのだろうか?笑

とふと思ってしまいそうな感じの

ものばかり。


絶版になっているような本

もいくつも買っている。

何故かわからないけど

この本でなければ

いけないって感じで。

(そんなこともないとは思うけど、

私はどうしてもこの本から何かを

知りたいって感覚なのかと思う)


なんなら、

先日海外へ行った際に

見つけた

英語のスピリチュアル本も

読み始めている。。

さらに言えば、

kindleでも英語版の本を

購入した。


(私はそこまで

英語がさらさら読めるわけではありません。

なんなら理解しきれないところ多数あり)




さらに、

トラウマや虐待、

心理学

こういう関連の

本を片っ端から

読みあさっている状態。



でも、それと同時に


インプットだけではいけないよ


って言う気持ちも

ちゃんとある。



きちんと、自分と向き合うことを

忘れちゃいけないって感じ



日々の中での

『苦しい』と感じたことに

向き合う

深く掘っていく

そして、自分の本心

感じたことを

見つめることを

恐れないように、

という感じ。




黒猫しっぽ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫あたま




先日、数年ぶりに友人と再会した。


一度は疎遠になってしまっていた

友人だった。


彼女の方から連絡を

断たれてしまっていた中で、

彼女の方から

連絡をしてくれた。

勇気がいることだったと思う。


また縁が繋がったと

本当に嬉しかった。




そんな彼女との会話の中で、

私は私が感じたことを

『許すんだ』

許すと言うことは、

それを表現していいんだってことなんだ

ということに気づいた。


だけど、その表現方法を

選ぶことができる


相手に伝わるように表現するのか


それとも相手にわからないように

自分だけが認識できる形にするのか


表現することを許した先で


どうアウトプットするかを

決めるのは

いつだって

私なんだな

と知ることが出来た。



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幼い頃、

私は

両親が私に与えてくれる愛

私が望む愛

違うことに大きなショックを

受けていたようだった



『社長の生き方は

素晴らしいから、お金が無くても

ついていく』

と人格だけをとり、


私たち家族がお金に困ってることを

見ないふり、

寄り添うことを

無意識でも放棄していた父の

あり方は、

幼心に

『父は他人のために

身を捧げるのに、

家族のためには

頑張らないんだ。

愛していないんだ。』

と捉えた私がいた。



勉強に熱心だった学生時代の私は、

兄や両親に

『RICHIなら大丈夫だろう』

『RICHIが決めたことなら

間違い無いだろう』

『RICHIが将来、

たくさんお金を稼いでくれる』

だから、

勉強だけしていればいい

と言う感じで、

『家族に関すること』

の仲間外れにされていた感覚があった


頑張っても頑張っても

その中の一員という感覚は得られず


私の中で

『自由が好きだけど、

自由は孤独なんだ。寂しい。

みんなが私に責任を押し付ける。

誰も私を助けてくれない。』


そう言う感覚を

幼い私の心のなかに

作り上げてしまった。



本当は、親は

私が好きな勉強や

やりたいことに専念できるように

環境を作ろうとしてくれていただけ

だったんだと、

ようやく心が納得してくれた。



側から見れば、

きっとなんてことない

私のただのわがままな考えだった

けれど、

幼い私の心の捉え方の

バリエーションは

大人の我々が思う以上に

とても狭く小さいものなんだと

痛感した。


(幼い私は、傲慢だったんだ

とも言えるんだなと知った)


その狭い見識のなかで、

必死でもがいていた

幼い私が

ずっと苦しくて

見つめてほしくて


矛盾を引っ張りあっていたんだな


自由でいたい

リサイクル

でも、自由は孤独で、

孤独は嫌だ。




友人と話す中で、

その気持ちを手放すことを

決められた。


気づいたことで

手放すことを決めることが

出来た。



本当に感謝でしかない。

ありがとう。



ご縁に

友人に

導いてくれた方々に

そして、気づき決めた私自身に

本当にありがとうなんだな、と

思ったブログです。