カーサツアー一週目のセッションが全て終わり、週末のアウトパライゾへ出発する頃になると体調不良を訴える人が一人、また一人と増えていきました。

 

 森先生が原因をチャネリングすると、皆風邪をひいたわけでもなく食あたりでも時差ボケでもないというのです。そしてカーサのエンチダージによる治療の影響でもすらもない!

 

 原因はなんと――

 

 

 サイキックアタックによるものだったのです!

 

 

 直接的な原因が何であれカーサで起きたことは大きな目でみるとやはり治療です。それはサイキックアタックに関しても同じ。最終的には送っている側にとっても送られる側にとっても、大きな進歩となるはずです。治療されているからこそサイキックアタックを送るのであって、送られる側も治療をされているからこそ敏感になっているとも言えます。

 

 かなり古い記事ですが、かつてこういうことがありました↓

 

 カーサで起きることは全て必然、私は今では自信をもってそう言えます。

 

 

 私もサイキックアタックの影響かどこか楽しめない、楽しみきることのできないアウトパライゾ滞在となりました。いや、サイキックアタックの影響もあるでしょうが、実は5月のツアーメンバー達の低迷ぶりを心の奥底で残念に思っていたのです。5月の時は喜びの感覚でみんなと、全てと繋がっているようなアウトパライゾ滞在でしたけれど、今回は全然違います。

 

 滝だって楽しいし、クリスタルショップ巡りだってもちろん楽しい・・・でもその感覚が皆さんに伝わらない感じがします。そして私は私で、皆さんの感じている楽しさや喜びに心から共感できないのです。

 

 ツアーに参加された皆さんはそれぞれにもちろん楽しんで喜んでくれているのはわかっています。ですが、5月と違うのが、その喜びも楽しさもエゴによるものなのです。

 

 皆さんの エゴが楽しんでいるエゴが喜んでいる のです。

 

 この違いは極めて大きいです。魂の底から湧き上がるような深い喜びというものは限りなく愛(無条件の愛)に近いものです。でも、エゴの喜びは、単に物欲が満たされた、食欲が満たされた、知的好奇心が満たされた、・・・といったものの延長に過ぎないのでして、一時的なものになりがちですし、基本的にその人一人の経験でしかありません。

 

 しかし、本当は誰もが真の喜びが欲しい のです。それが出来ない、あるいは体験したことがないからそうした一時的な喜びでエゴを納得させ、一時しのぎを繰り返してしまうのが人の常というものです。私にお言わせるとそれではまるで何かの中毒患者のようです。私はこのツアーでは、その 真の喜び というものを少しでも皆さんに味わって欲しいのです。

 

  私は5月のツアーで感じた喜びを静かに反芻してみました。真の喜びとは深い瞑想状態そのものです。それは決して一人の世界に籠るという意味ではなく、むしろ大きな愛に見守られながら全てと共有する感覚です。全てと一体感を感じながら、恍惚とした感覚に浸ることです。

 

 その感覚を阻んでいるのが、サイキックアタックでした。サイキックアタックがそれを受けているツアー参加者たちの意識レベルを下げているのです。

 

 アウトパライゾでは行き帰りを含めて3日間の滞在でした。その間、信じられないくらい強いサイキックアタックが私を含め、ツアー参加者の何人かを襲いました。

 

 先ずは雨漏りです。雨期なので夜少し雨が降ったのですが、雨漏りっていうと普通ポタポタと落ちてくるイメージですよね?ところが、この時、私がベッドで寝そべってパソコンでメールチェックをしていた時、そのパソコンのすぐ横へコップ一杯くらいの水が突然落ちてきたのです。本当に「バシャッ」って、誰かに水をかけられたような感じでした。

 

本当にこんな感じでした "(-""-)"

 

 雨漏りっていうともっと継続的なものだと思いますけれど、水が落ちてきたのはこの一回キリでした。

 

 もう一人同じ経験をされた方がいらっしゃいました。その方は自分の荷物が置いてある所へ突然黄色い水が降ってきたのだそうです。

 

 そればかりではありません。森先生が電気を付けようとスイッチに触ったところ、漏れた電気で感電してしまいました。

 

 

 また、特に男性陣ですが、次々と謎の体調不良に見舞われました。せっかくアウトパライゾまで来たのに寝たきりになってしまい、少しも観光らしい観光が出来なかった方もいらっしゃいます。これも森先生にチャネリングしていただくと、やはりサイキックアタックを受けていることが原因だというのです。

 

 一体何が起きているのだろうか?本当にこれは「長い目で見ると治療だったな」と後から思えるのだろうか??

 

 私の疑問に明確な答えが訪れるのは、この後ずっと先になってからのことだったのです。

 

(続く)