お金を残すのは三流、仕事を残すのは二流、

 

人を残すのが一流

 

 そういう言葉を残したのは誰だったか忘れましたけれど、私自身それに似たメッセージを上からいただいたことがあります。今日は皆様にそんな話をシェアしたいと思います。

 

 今からウン十年前、私がまだ20代だった頃の話です。当時(仮称)劇団Zに座付作曲家として雇われていた私は、まだ音楽助手という身分で大御所の先生の下で働いておりました。しかし、そのうち演出家から直接のご指名をいただき、ようやく一人で芝居(ミュージカル)の音楽監督を任されることになったのです。

 

 当時、沖縄のユタ出身のある霊能者のところでスピリチュアルカウンセリングを受けていた私は、デビュー作初日を迎えた後「おかげさまで・・」と近況を報告しに伺いました。すると先生は私に向かって開口一番なんておっしゃったと思いますか?

 

 

「おめでとう」でもなく、「頑張りましたね」でもなく・・・・

 

 

 

「弟子を育てなさい」

 

 だったんです。

 

 確かにその時の作品は私にとって自信作でしたし、客入りも連日立ち見が出るほどの盛況でした。もちろん音楽でお客さんを集めているわけではないのですけれど、それでも私の仕事は関係者の間で評判がよく、私の可能性とか存在感を示すには充分な内容だったと自負しています。

 

 とはいえ、流石にまだデビューさせてもらったばかりの20代の私に「弟子を育てろ」だなんて、何かの冗談じゃないかとさえ思いました。その時は私自身がまだ師匠の弟子の立場でしたからなおさらです。

 

 ですが、そのメッセージの意図はなんとなく感じ取りました。天から与えられたギフトは、独り占めしようとしたり自分の私利私欲を満たすために使おうとすると、たちどころに精彩を失うというものです。私が人にギフトを与える立場(つまり音楽の神様みたいなものの立場)に立って考えると、それは自ずとわかります。

 

 何しろ私がその時仕えていた師匠がそういう問題のある人でした。自分よりも才能のある人や若い人を妬み、自分の仕事が減ることを恐れ、あれこれと画策して劇団から追い出すような人だったのです。彼の下に残されたのは、もう何十年もの間誰からも指名を受けることのない魅力のない弟子たちばかりでした。

 

 私はその師匠の五番弟子にあたるのですが、才能豊かな三番弟子、四番弟子は私と入れ替わるように劇団を追い出されるのを目の当たりにすることになりました。残された1番弟子の人は既に還暦を過ぎ、二番弟子の人は作曲家ではなく声楽家出身の方で、作曲もオーケストレーションもド素人だったものですから、師匠を筆頭にした私たちの音楽チームは演出家からもオーケストラや音響スタッフなどからも次第に疎まれるようになっていったのです。

 

 私の師匠に作曲の依頼をする演出家は次第にいなくなりました。そりゃそうです、作曲家を選ぶ側(演出家)の身になって考えれば、若くて才能溢れる次世代を積極的に育てているチームの方が活気があって魅力的じゃないですか。

 

 それでも私の師匠を見捨てずに指名してくれる演出家の先生はいらっしゃいました。しかし、次第に師匠を飛び越えて私に直接仕事を依頼するようになったのです。師匠に仕事を依頼すると、一番弟子や二番弟子に自動的に仕事を振り分けてしまうからです。ですから、師匠と私はどんどん関係が悪くなっていきました。

 

 師匠は次第に卑屈になり、「〇〇さん(演出家)はもう私とは組みたくないのかもしれない」などと私にこぼすようになりました。そして次第に私から助手の仕事を取り上げ、私を自分の現場から締め出すようになったのです。

 

 そしてあろうことか、代わりに他の師匠の元で修行している私の同期に、助手(雑用)の仕事を振るようになっていきました。彼は私よりも先にデビューし、もうすでにこの頃別の師匠の弟子を務めながらも一人前の作曲家として第一線で活躍していたにもかかわらずです。おそらく私の師匠は彼のことも妬んでそれを邪魔しようとしていたに違いありません。私を干すことと彼を邪魔することと、一石二鳥というわけです。

 

 こうして私は同期からも嫌われるようになりました。同期の彼らから見ると、私が師匠との関係を良好に維持しないから自分の雑用が増えたのだと、私の尻拭いをさせられているのだと、まあそんな風に見えるわけですからね。周りからも「なぜ彼があの先生の雑用をやらされてるの?」と訝しげに言われていたようです。私は私で干されて大した仕事もしていないのに劇団から給料をもらっている形になるわけでして・・・結局それが劇団Zをやめるきっかけとなりました。

 

 まあ、こうして私の師匠は自分の後継となる人を育てなかったわけですが、それを反省することもなくむしろ誇りに思っているかのように「私のあり方は誰にも真似できない。この才能は墓場に持っていくことになるのかな」なんて周囲に自慢していました。でも影では演出家たちから鼻で笑われていたわけです。

 

 こうして私は劇団Zを辞めて上京したわけですが・・・

 

 東京で待ち受けていたものはさらなる学びだったのです。

 

(続く)