瞑想教室で森先生がエンチダージからのメッセージとして批判について述べられたとき、私はすぐに自分のことだとわかりました。それは瞑想中、瞑想教室とは関係のない別のあるお客様に、私の言いたいことをどう説明したらわかってもらえるだろうかと考えてしまっていたからです。

 

 本来それは「ご指導」であるべきはずなのですが、エンチダージから「それは批判だ」と指摘されたということです。それは何故でしょうか。

 

 まずその時の私の感情に着目してみるべきでしょう。私はそのお客様に、「出来るだけ早く気付きを得、その状況から学ぶべき学びを終わらせて欲しい」と思っていました。それに伴うイライラや焦りなど不愉快な感情が伴っていたのです。実際にそのお客様の性格が災いして弊害が出ており、周囲の人を困らせているという現状があったからです。

 

 内観の結果、そこには「自分の学びのために他者に迷惑をかけてはいけない」という思い込みの土台がありました。これは真実ではなく、私の思い込みに過ぎません。人は誰だってお互いに迷惑をかけあい、許し、学び、高めあうものだからです。

 

 その次に、もうひとつの思い込みをみつけました。

 

 私の焦りやイライラの背後には「せっかく時間やお金をかけて私達と出会ったのだから、もっと学びを加速させるべきだ」という思い込みがあるのを発見したのです。そしてその下には「時間やお金を有効に使うべきだ」という土台になる思い込みがありました。

 

 これは私にとってかなり根深い思い込みだったように思います。それは私が昔困難に陥っていた時、金銭的にも大変だったというトラウマがあるからです。困難の最中にある人にはあまりお金を使って欲しくない、つまり、セッションやセミナーにそんなにお金(=時間)を使って欲しくない、使うべきではないといった思いはその時に出来上がったものです。

 

 そしてそこには「問題を抱えている人にはお金がない」という全く根拠のない、間違った思い込みがあるのを見つけたのでした(!)

 

 そしてもう一つ、私自身が提供しているサービスに対して、「これはいただく金額に見合ったサービスを提供できているのか」という不安がありました。それはお客様から「これだけモノを買って、セッションも受けているのに全然効果がないじゃないか」と批判されるのが怖かったからです。私自身、過去にそういう思いをしたことがあるからです。

 

 つまり思いっきり過去の自分をお客様に投影していたわけですね。私が思っているほど、ウチのお客さんは貧しいわけではないし(たぶんねwwww) そしてそんなに切羽詰まるほど困っていません。ゆっくり丁寧に、それぞれのペースで気持ちよく学べばいいわけです。そしてしっかりウチでお金を使ってもらえばいいわけです(大笑)私が焦る必要は全然なかったのです。

 

 こうして批判を構成する私自身の過去のトラウマ、思い込み、相手に投影、という全てが揃いました。気付きのきっかけは自分の感情が動いていることに自分で気付いたことです。私はやはりそのお客様を批判していました。ざっくり言うと「気付くのが遅いぞ!進歩が遅いぞ!」と批判していたわけです。

 

 お客様に対する愛も「無条件の愛」でなければなりません。「これこれこれだけの金額を頂いているのでこれだけの時間を提供しますから、その間にこれだけのことを学んで欲しい」というのは私のエゴです。そしてそれが出来ないお客様は認められないという態度は私自身が条件を設けた「条件付きの愛」を押し付けているということに他なりません。

 

 私は森先生とお客様の成長具合、クリアリングの進み具合について意見交換などしますが、やはり「遅すぎないか?」とか「○年も前にリキャリブレーションを受けていてまだアセンションできないってどうなの?」とか、過去の自分のことを棚に上げてよく批判していたな、と思います。でも森先生は焦る素振りもなく、よく「私は待つことができるから」と言います。単純なようだけれども、この「待つ」姿勢がお客様を安心させ、ヒーラーとクライアントの信頼関係を強固にしているのだと、私は改めて思いました。

 

 お客様がいつか変わる(成長する)ことを信じて「待つ」という姿勢、これが「無条件の愛」です。子供の成長を黙って見守る親の愛です。なるほど、私はそれに比べてお客様の大切なお時間とお金が・・・とガツガツしていたし、焦っていたし・・・・ダメだなぁと反省です。

 

 人にはそれぞれディバインタイミングというものがあります。成長するときにはいきなり急成長することだってあるし、停滞するときは停滞するものです。お客様にとって最高のタイミングがくるまで成長を信じて「待つ」ことは 無条件の愛の姿勢でいること ですが、それはつまり今この瞬間の未熟さを赦し、受容するということです。つまりそれは、今この瞬間を生きるということと同義 なのです。

 

 これがエンチダージからのメッセージの冒頭の意味です。

 

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 今この瞬間にいれば批判はなくなるはずです。

 

 今この瞬間にいるということは受け入れる、許容する、抱きしめてあげる、ということです。

 

 もしあなたが誰かを批判しているのであれば、この瞬間に存在することができません。

 

 ・・・・(後略)

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 私の個人的な話を具体例として解説したのでわかりにくかったかもしれませんが、少しはその意味わかっていただけましたか?

 

 この冒頭の言い回しを聞いた時、私は「大風呂敷を広げすぎだ」と思いました。これは富士山の8~9合目辺りから見た景色で、とても高度な内容だからです。

 

 でもこれは瞑想教室で降りたメッセージでして「瞑想=今この瞬間にあること」ですから、「瞑想にちゃんと入れていませんよ、あなたは瞑想中に批判をしていますよ」という意味で、エンチダージはこういう言い方をしたんでしょうね。

 

 瞑想教室の皆様は、それぞれにこのメッセージをもらった意味があるかと思います。瞑想教室の皆様は是非、このメッセージについて内観を深めていただきたいと思います。

 

 批判を手放すということ、無条件の愛、今この瞬間に生きること、赦し、受容・・・これらは別々の概念であるかのように思われているかもしれませんが、究極には一つの真実 であり、これらの言葉を使ったどのようなスピリチュアル論議も所詮一つの大きな真実の一側面を指し示すに話に過ぎないということを知って頂きたいと思います。

 

 批判を手放すとは、自分自身のクリアリング(浄化)を徹底するということだと申し上げました。完璧にクリアリング出来ている人などいないわけですから、批判はいつまでたってもなくならない、ということです。霊性向上とはクリアリングに次ぐクリアリングです。是非、ご自身の中にある「批判」を見つけ、観察することによって、更なる飛躍をしていただきたいと思います。

 

 

 最後に――

 

 

 これをお読みの瞑想教室の皆様、

 

 そっか、ゆっくりのんびりやればいいんだー、なんて都合よく簡単に解釈しちゃったりなんかしちゃってませんか??

 

 こういう「焦っちゃってる」私と出会った意味を考えて下さいね。

 

 鏡の法則のお話しましたよね?似たような人を引き寄せる、あるいは正反対の人を引き寄せる、ということです。あなたは私と同様「焦っている」か、もしくはその真逆、「のんびりしすぎ」かどちらかの可能性がありますよ('ω')ノ

 

 さあ、ハイヤーセルフはあなたの取り組みをどう評価しているでしょうね(笑)

 

(完)