ジョンオブゴッドことジョアンさんは間違いなく世界最高のヒーラーでありチャネラーでもあります。でもそれは正確な表現ではありません。ジョアンさんのようなあり方は フルトランスミディアム と呼ばれ、それらを超越したあり方なのです。

 

 ジョアンさんは普段は本当に普通の人です。セッションの時だけ本人の意識がなくなり、身体をエンチダージと呼ばる目に見えない存在達にあけわたします。そしてエンチダージそのものになって巡礼者に助言をし、ヒーリングを施します。

 

 ヒーリングとは何か――、それはただ単に病気を治すことではありません。言葉の指し示す意味はもっとずっと広く、私がこのシリーズ前半で申し上げた広義のクリアリングをサポートするものだと思っていただければ間違いないでしょう。

 

 その人の抱える困難のもとになっている原因についてクリアリングすること、あるいはクリアリングすべく目の前に指し示して見せ、取り組みやすくすることだったりします。

 

 チャネリングとは何か――、それはあくまでもその人の意識はハッキリした状態で、見えない存在とコンタクトをとり、情報をもらうことです。

 

 そういう意味でエンチダージの依り代となってエンチダージに成り代わってしまうジョアンさんはヒーラーでもなければチャネラーでもなく、やはりミディアムとしか表現できないものです。

 

 フルトランスはミディアムの中でももちろん最上級です。それはジョアンさん本人の意識が全く介在しないという意味だからです。そういう人は世界で何人かいるのですが、何十体ものエンチダージが入れ替わり立ち代わり入ってくるようなフルトランスミディアムは古今東西ジョアンさんしかいません。

 

 あなたはヒーラーからサービスを受けていて、「それって本当に神々のエネルギーなの?ヒーラー自身のエネルギーではないの?」と思うかもしれません。あるいはチャネラーの話を聞いていいて「どこからどこまでが神々やハイヤーセルフの言ってることなの?チャネラーさんの意見なんじゃないの?」と思うかもしれません。ですが、ジョンオブゴッドに関しては、そういうことが絶対にありえないのです。 目の前のジョンオブゴッドは肉体をまとったエンチダージそのもの なのですから。

 

 ですから、カーサでジョンオブゴッドに面会するということは、目に見えないスピリット(神々、聖霊、天使、アセンデッドマスターなどなど)に会いたい、話がしたいと願う人全てにとってまるで夢のような出来事だったのです。

 

 そんなカーサを貶めてやろう、ジョンオブゴッドを辱めてやろうとする動きは昔からありました。

 

 カーサについてよくいわれるように変な宗教団体であるとかカルトであるとか、ジョアンさんをグルであるとか「いたこ」であるとかいった、そうした陳腐なレッテル付けは無意味です。巡礼者のことを信者と呼んで揶揄することも全く的が外れています。

 

 宗教だったら教祖様や指導者がいるでしょう。教会であれば神父様、お寺には僧侶がいます。また、それぞれに教義があって、何か教えを説教するわけです。ですが、カーサにはそういうものが全く何もない のです。

 

 それでもエンチダージが作った基本的な決まり事はいくつかあります。しかしそれらは本当に最低限のルールに過ぎないものでして、セッション時にどう並ぶのか、手術後の過ごし方、敷地内では静かにすごしなさい、とか、滝へ行くには許可が必要ですよ、とか社会人としてごく当たり前のものでしかありません。

 

 カーサの凄さとは、宗教的な枠組みでありがちな教祖への信仰、教義、献金の強要、「~しないとバチがあたるぞ」といった制約等が一切ないということです。

 

 それが故にカーサはどんな宗教の人もどんな思想の人も受け入れる懐の広さがあります。カーサではすべての選択は個人に任されています。つまり自由であるということです。

 

 しかし自由であるがゆえにかえって何をしたらいいのかわからない、カーサの何たるかがわからないといった混乱のもとにもなっています。

 

 巡礼者のエゴは騒ぎ始めます。せっかくカーサに興味をもったのに、何を勉強したらいいのかわからないといいます。私達はカーサのあり方として「瞑想してください」と申し上げますけれども、それではつまらない、そんなはずがない、もっとなにか自分を変えてくれるノウハウ、メソッドがあるはずだと思ってしまうものです。

 

 カーサでエンチダージに促されることは瞑想することだけです。瞑想とは究極の「何もしないこと」ですからね。エンチダージは修行に来られた巡礼者たちに「何もしないこと」を指導するいうことです。

 

 そのためにカーサにはものすごく強いヒーリングエネルギーがあります。それは癒しのエネルギーであり、愛のエネルギーでもあり、つまりは深く瞑想に入るためのエネルギーでもあるわけです。

 

 凄く逆説的ではありますが、この「何もしない」の中に癒しの全てがあります。無限の叡智とヒーリングエネルギーがそこにはあります。ですからなおのこと、「何も言わない、語らない(教義がない)」というのがカーサのやり方なのです。

 

 カーサは、ジョンオブゴッドは、困難の最中にあるあなたを前に、ああしろこうしろとは言わないということです。その代りそっと鏡を差し出します。カーサのヒーリングエネルギーはまるで鏡のようです。ありのままのあなたの姿がそこに映しだされるでしょう。あなたはそれを見て、自分でおぐしを直したり、襟を正したりすればいいのです。


 スピリチュアルは個人の心のあり方のことです。そしてスピリチュアルというのは自分自身が霊的な存在であるという真実にたどり着くためのツールであるということをカーサは教えてくれるのです。

 

 ですから――、

 

 グローバリストたちがカーサを弾圧し、ジョンオブゴッドを逮捕した、マスコミを使ってジョンオブゴッドを大々的に侮辱した・・・だからといって我々は何かを失うことは決してありませんでした。

 

 彼らは世界中の聖職者や精神的指導者たちにも同様にスキャンダルをでっちあげて名誉を傷つけ、あるいは命を奪ったりしました。そうやって人々から希望を奪いました。しかし同じようなやり方で、カーサ巡礼者たちの希望を奪うことはできませんでした。だって、ジョンオブゴッドは所詮偶像に過ぎない ことを誰もが知っているからです。カーサは宗教じゃないんです。ジョアンさんはグルとか教祖様なんかじゃないんです。

 

 たしかにジョンオブゴッドを神と崇め、教祖のように思っている人はそれまでたくさんいました。そういう人たちにとってこのスキャンダルは失望だったかもしれません。ですが、そういう人たちは事件を境にいなくなりました。それはむしろ前向きな変化なのです。

 

 ジョンオブゴッドがいなくても、私たち巡礼者一人一人とエンチダージとの絆は失われません。今この瞬間にも私達一人一人のそばにエンチダージがいて見守ってくれているのを皆知っています。たとえジョンオブゴッドの口を借りて言葉をかけてもらうことができなくなっても、ジョンオブゴッドの手を借りてヒーリングを得られなくても、ちゃんとエンチダージと共にいることを知っているのです。

 

 世界征服を企むグローバリスト共にカーサを潰すことは出来ないでしょう。それは奴らにはカーサを理解できないからです。カーサとは「愛」そのものであり、人の心の中にある「家」でもあります。どんな手を使って人々を支配しようとしても人の心や精神、魂までをも支配することはできないということです。

 

 

(続く)