ブラジルの森の中で野生のコウモリに襲われる… なかなかの恐怖でした。ましてやこちらは海水パンツ一枚。コウモリにどこか噛まれて変な病気にでもなったら大変です。(あのエボラ出血熱の自然宿主が確かコウモリって言われてますよね?)

 

 私はしばらく滝の水の中に隠れてコウモリからの攻撃をやり過ごし、落ち着いたころを見計らって急いで服を着てカーサのメインホールに戻りました。

 

 その頃には少しづつ夜は明け、空が白み始めました。

 

 カーサのメインホールは薄暗がりの中。

 

 私は壇上の三角形に祈りを捧げて帰ることにしました。檀の上は土足禁止です。裸足で登り、三角形に額をつけて暫く祈りを捧げました。

 

※同じ写真の使いまわしで恐縮ですが、

メインホールの壇上とはまさにこの奥に見える三角形の場所です。

私もこの男性と同じように額を付けて祈ったのです。

 

 祈りを終え、帰ろうと三角形から額を離したときのことでした。私の顔と目の前の三角形のほんの僅かな隙間に何か落ちてきたのです。

 

 私はさっきまでコウモリや蛾と格闘していましたので、それを蛾だと思って反射的に払いのけてしまいました。

 

 しかし、それはなんと白いバラの花弁だったのです。

 

 

 よく見ると、今私が立っていたメインホールの壇上に、他にもたくさんバラの花弁が落ちています。

 

 天井を見上げても、もちろん何もありません。何もない空間からバラの花弁が降ってきているのです。さっきまで何もなかったので、私がお祈りをしているホンの僅かな間にバラの花弁がたくさん降ったようなのです。

 

 

 私は呆然とし、自分の目の前に落ちてきた花弁一枚だけをとって、そのままポウザウダに持ち帰りました。

 

 

 森先生に報告すると、すぐにチャネリングしてくれて、「それは聖テレーズからの贈り物です。」というのです。

 

 聖テレーズ… その時はその名前も知りませんでしたし、ましてカーサのエンチダージであることも知りませんでした。だって、カーサで発売されている本には名前が載っていなかったからです。

 

 そこで検索すると… 

 

 聖テレーズ … 私はバラの花弁を降らせましょう… 

 

 …って そのまんまじゃん!!

 

 ※彼女は「私は地上に善を為すために天での時を過ごしましょう。私は天から薔薇の雨を降らせましょう。(Je veux passer mon ciel à faire du bien sur la terre.Je ferai tomber une pluie de roses.)」と言い残して亡くなっています。

 

 バラの花弁が降ってきたからテレーズですね、ってそんな… 森先生、チャネリングしてないでしょう… 出来すぎでしょうよ…

 

 ですが、私が本当に驚いたのは彼女の教え、「小さき道」でした。

 

 

 彼女は自分には名だたる聖人たちのような力はないと悟り、その代わり幼子のような「小さき道」を歩もうと思い至ったのだそうです。これをわかりやすく言えば、彼女は神への愛を表現する方法として何も大きな偉業を成す必要はないのだということ、むしろ、自分の無力さを認め、まるで親を慕う幼子のように神を全面的に信頼することを説いたのだそうです。

 

 これはむしろ「無力でありなさい」という意味で、「安心するためにあれこれと身に着けよう、手に入れようと思うことを手放しなさい」といった意味なのだそうです。

 

 

今朝の滝での私の誓いとお願い事、

そのまんまじゃん!!!!

 

 

 私は滝でコウモリとの闘いの果てに誓ったこと、このようにありたい、このように生きたいとエンチダージにお願いしたことが、たまたま聖テレーズの教え通りの生き方だったのです。そしてその思いに聖テレーズが応え、バラの花弁を降らせるという奇跡を見せてくれたのだと、今では思っています。

 

 

(続く)