皆様、ゆっくりと平和な大晦日を過ごせていますか?
雪がちらついたりと、こちらもとても寒いので体調には十分注意して下さいね。
身も心も清々しい気持ちで新年をお迎え下さい。(お手紙風おわり)
さて久々に文章を書きたいと思います。
エンタメに携わる人間として今年もやはり紆余曲折としていたことは事実です。気軽に劇場に足を運ぶのを躊躇ってしまうモノが心の片隅に植え付けられてしまったこの状況で、作品が純粋に淘汰されていると思います。
「強者」・「弱者」、「良作」・「駄作」、「人気」・「不人気」。
それは普遍的な事でしたし、何を基準にして足を運んで下さるのかは人それぞれでしたが。昨今、尚更にお客様も慎重に観る作品を選ぶことが加速しているのが目に見えて分かります。
そんな状況下でしたが、年末に出させて頂いた壱劇屋さんの『二ツ巴』の千秋楽での舞台上からみた客席の光景は一筋の光が見えた気がしました。
観て下さったお客様の感想・クチコミ等で地道に広まった結果であったように思います。
未来永劫の安泰というものは無い。
これはずっと心の片隅に置いているのですが、役者は一生日雇い労働者だと思っています。
売れることよりも、続けていくことの方が何十倍も難しい世界であるのです。
少なくとも死ぬまで役者と名乗るためには伸びそうになった自分の鼻を自らへし折り、常に疑問を抱き、上と前を見て歩き、時にトップギアに入れて走ることを続けていかないといけないのかなと。
例え「とある人気作品」に出たとしても、それに驕らずに生きていきたいと思います。
……奢るようなことはよくしていますが。もう少し奢れるようにはなりたい(¬_¬ )
さて今年の振り返りを。
・1月~3月:舞台『刀剣乱舞』天伝 蒼空の兵 -大坂冬の陣-
全てのスケールで初体験でしたし、あの桁違いの劇場で100公演近く同じ演目をやることは今後無いのかなと思っています。(某ディズ〇ーのショーを年間通してやられてる方々を尊敬しました)
身体作りをし始めたのは昨年の夏からだったと。真夏の公園で保育園の園児たちと混じりながら上裸でこんがり焼きつつ筋トレしておりました。
衣装もはだけてるのを覚悟してたのですが、腹筋ボンジョルノはお預けでした。
去年の今頃の時間に公園で殺陣の確認をしていたのが懐かしい限りです。
頼れる兄様方に挟んで頂きましたので、走り抜けられました。
改めて思い返すと皆さん……よく最後まで走りきったなと思います。準弥くんは倍なのでちょっとよく分からない領域にいますが。
毎公演終わりにゴミ箱に氷水を作って頂いて下半身を漬け込んでいたので乗り越えられたかと。
ジョ伝から再び刀を交えましたが、刀でプロレスをしていた印象でした。魂と魂でぶつかり合う。
……戦っていながらこれは互いに認めあった友情なのかなと思いましたね。
末満さんの過去作品から再び集合した松田凌くん、ヒデくん。
出会いと、また引き合わせて頂いたことに感謝です。
・6月:フィロソフィーのダンス「ダブル・スタンダード」
久々に再会をした桃太郎さんからお話を頂き、「フィロソフィーのダンス」さんのMVに出させて頂きました。
BRATSさん含め、天伝の方々がチラホラといますよ(^^)
・8月:壱劇屋「二ツ巴」※中止
今を踏まえると龍之介さんと一緒に本番を迎えていたらどんな風に作品を構築していたのかなぁと想像してしまいます。
出来ることならどこかでまた共演をしたいと願っています!!
・9月:Gahornz Creation Live
こちらは長い付き合いの朝川くんの企画している映像生配信企画でした。……かなり気に入ってるので下にダイジェストの映像を貼っておきます。
スピリチュアルセラピストの役もそうそうやることは無いと思います。
ぶっつけ本番で起こる奇跡のような作品でした。小道具で名刺とか色々と作りましたが、血糊を自作出来たのは良かったですね。
・12月:壱劇屋「二ツ巴」復活
小劇場の底力をまざまざと感じました。
そして晋太朗くんの作り出す作品は無限の可能性を秘めています。劇団壱劇屋、是非お見知りおきをと僕は言っておきます。
僕がこの業界に入る前、栗田さんは京都太秦の仮面ライ〇ーのショーにて仮面ライ〇ーWとして出ていて、某ヨウツベでその映像を見ていたのですが……おかしなくらいかっちょよかったんですよ。まだ残っているのかな。もう10年以上前かと。
それを彷彿とでき、また今回はさらに超越していた可能性も高いかと。また現場でも宜しくお願い致します。
とそんな1年でした。
今まさにギリギリのタイミングで書いているので31日を過ぎないでくれ、と祈っております。間に合え、間に合え、間に合え!!
まだまだ様々な事との戦いは続きますが、共に歩んで行きましょう。
明るい未来を切り開くのは自分自身。
その為には周りの方々に敬意と感謝を。
Addio 2021.
ボンジョルノ 2022年。
日南田 顕久