ゲームよりも主治医・婦長との連絡の方が毎日の楽しみ。

そんなある日、主治医から報告された内容・・・。


『明日彼にも告げますが、先に貴女に報告します。

今回の投薬治療ですが、手遅れだったようです。

彼の病気を完治させるのは…移植以外、不可能と

いう結果になりました。』


本来ならば投薬治療で短期間で治る予定だった・・・。

でも、2月に病院を抜け出して茨城に来たのが

恐らく原因となったようです・・・。

移植にしろ国内ではまず不可能と考えてもいい・・・と

医者が告げた。

薬で発作を抑えられるレベルだから、会えなくなるという

事はないけれど、情緒不安定になりそうな事や運動は

不可能です、とも告げられた。


翌日、彼に告げた主治医。

彼は悲しげな微笑みを浮かべていたらしいです・・・。



そういえば、弟さんの彼女さんの話が飛んでいましたね。

彼女はオペの最中に亡くなったようです。

彼女と時間帯がずれて彼もオペをしていたようなのですが

麻酔で眠っている彼の夢に弟さんが出てきて

"兄貴はまだこっちにきちゃだめだよ"

"俺は彼女と向こう(天国)で幸せに暮らすから、兄貴も頑張れ"

って言いながら、彼女さんと手を繋いで遠くへ行ってしまった

ようです・・・。

その夢を見て察したらしいです。

麻酔から目が覚めると主治医が壁を叩きながら悔やんでいる姿を

見て確信したんだそうです。

まぎれもなく彼女は亡くなりました。

でも、向こうで幸せになれたなら良かったと彼は言っていました。



そして話は戻り、主治医とのメールのやりとりで

弟さんのお話をしてくれました。

弟さんは、自分の病気が治らないかもしれないという

宣言を受け入れた後、彼女に別れを告げたらしいです。

良さんも弟さんと同じ選択をするかは分からないけど

信じてあげてください・・・と言われました。



そしてその夜、私は良さんから別れを告げられました。

・・・昼間に聞いた話と同じように・・・

弟さんと同じように・・・。



散々寂しいといっていた彼が電話を受けた途端

ものすごく怒ったような口調で私に怒鳴ってきました。

そして今まで溜めこんでいたもの・・・

ストレスや病気に対するやり場のない悲しみ、怒り・・・

全てを私に当たってきてわざと嫌われるような・・・寧ろ

私を嫌うような発言が飛んできました。

突然の出来事に唖然として、何も考えられなくなり・・・

"別れよう"の言葉にただただ・・・"嫌だ・・・"と答えていました。


「今のヒナに俺の命を預ける事は出来ない」

「俺が発作を起こしたらどう対応する?!おろおろして何も出来ないだろ!!」

「この先一緒にいても何も出来ないような相手といたらいつか死ぬ」

「それだったら俺は一人で病気と闘っていく」


もっともっと酷い言い方もされました。

確かに当時の私はまだまだ子供で、相手の気持ちを

思いやるという部分が欠けてたと思います。

相手が発作が起きた時、冷静に対応できるか?と聞かれたら

出来ない、と答えると思います。

まだ20歳の私は全然子供で、自分がどれだけ子供なのかを

自覚していませんでした。

ただ悪い事をしたら謝る。

いい事をしたら褒めてもらう。

単純な事しか理解できず、肝心な所は理解できないような人間。

今思い返すと、後悔ばかりです。


別れを告げられ、私は"わかりました"とも言えないまま

電話は終了。

怒りの気持ちをこみあげ過ぎて発作が出たらしいです。

電話の後、婦長からメールが届き


「かなり怒ってますね…。私が今まで見てきた中で一番かも。」


というコメントをくれました。

そこで一番気になっていた指輪・・・

彼はつけていますか?という質問に対し


「指輪ですが…彼はしてませんね。それにまだ怒ってますし…。」


と言われました。

そして2日経ってから再び電話がかかってきました。

そこではもう他人行儀な口調。

どんな話をしたのかも思い出せません。






病院につき、検査。

夜8時~9時の間は検査でした。

そして人生初の点滴。

腕ではなく何故か手の甲(´д`lll)

まぁ、左手だったからちょっと助かった。

検査の後は病室に移動されました。

6人部屋の窓側でした。

流石に9時半となると、消灯時間も過ぎてますので

周りの人は寝ていましたが・・・。

病室に移ってすぐに姉と父親が来ました。

元気そうな私の顔を見て安心したらしいです。

そしてすぐに良さんの携帯へ連絡を入れました。


というか、ここの病院は患者が携帯を持ってても

何も言わないんですかねw

ナースステーションから見える位置で

電話をしていても何も言われなかったぞ・・・。


入院中は凄く暇です。

良さんの気持ちが凄く分かった気がします・・・。

同室の人は年配ばかりで気まずいwww

隣の人と顔を合わせるのも何なのでカーテンで

しきってみたり・・・w

外を眺めても田舎風景。

元気にメールをする気も起きず、

お見舞いにきた親と一緒に売店へ行き

クロスワードを買ってそれで時間をつぶしたり・・・。

基本ご飯の時間じゃない時は本当、何もやる事がないです。

会社の人が見舞いにくるわけでもなく・・・w


そしていい加減点滴の針が刺さってる部分が痒くなり

針をちょっとぐりぐりしてたら血がにじんで来たwwww

点滴もあと1時間で切れそうなくらい少なかったので

夜中にも関わらずナースステーションまで歩いて行き

点滴を外してもらいました。


入院して4日目、あまりにも暇すぎる時間を過ごしたくない

と思い、1週間を予定していた入院を3日早めて

ほぼ強制的に帰らせてくれと申し出をしたら退院させてくれましたww

家に帰れるとはいっても仕事は(入院期間も含め)2週間休んで

下さいと病院側から言われていたので自宅療養です。


事故が起こった一週間後に現場検証がありました。

1時間~1時間半程かけて色々聞かれました。


家にいるといつでも(彼が起きてる時間であれば)電話が

出来るので嬉しい・・・w




5月に入り、この頃もまだ主治医、婦長共に連絡をくれます。

私も仕事に復帰し、毎日頑張っていました。

そしてこの頃もまだICUで治療中らしかったけど

6月になったら個室に戻れるという話を主治医本人から聞きました。

わくわくしながら毎日を過ごして、忙しい仕事も頑張ってこなしていました。

その間、少し良さんと私・・・というか、婦長と私に問題が

出来てしまいましたが、お互い様な所もあったので

助け合いをしてたり・・・。

まぁ、内容は書けないので伏せておきますが。



6月に入り、主治医から報告を受けました。

まだ彼本人には報告していない内容を

先に私に教えてくれたんです。



私は驚きました・・・。

そして勿論・・・彼も驚くと思います・・・。






主治医の先生はマメに連絡をくれます。

そして時には笑わせてくれる内容も送ってきてくれました。

彼が今なにをしているのか・・・。

容体の変化はないか・・・。


「うなされてる間、ずっと貴女の名前を呟いていましたよ。」


という情報も入ってきたり・・・。

それと、主治医がお休みの日は

主治医同様、子供の頃から彼らの世話をしている

婦長さんからメールが来るようにもなりました。


長いイヤホンマイクをつけてたまに電話も出来るようになりました。

電話といっても30分未満ですが・・・。

3月半ば、電話を切った後に容体が急変したというメールを

主治医から言われました。

今になっては何の話をしていたのか覚えてないけれど・・・。

でも、その容体から見て危険な状態だったらしいです。


『今検査中ですが、場合によっては・・・覚悟が必要かもしれません。』


という不安になるようなメールが届きました。

全力を尽くしますという先生の言葉を信じ

私は遠くでただただ祈る事しか出来ないでいました。


数日して、容体も回復してきましたという連絡を受けました。

そして今度は婦長さんからも


「時々あなたの名前を寝言で言っていますよ」

「「愛してるよ」って言ってますね。ご馳走様です。」


と聞かされて、ちょっと恥ずかしくなりました(;^_^A

それと、また数日後に今度は主治医に言われたのが


「はっきりとは言えませんが、彼の心のどこかに

自殺願望がまだ残っているようです。」


という驚いた内容。

後日、主治医の知り合いのカウンセリングの先生を呼んで

お話をさせたようですが

うまく交わされて本音をあまり言わなかったらしいです;;


それからも婦長さんや主治医からの連絡は絶えず

どんな小さなことでも、世間話でも連絡をくれるようになりました。

3月末、こちら(沖縄)では海開きがあったとか・・・w

私が毎日不安にならないようにと元気づけてくれてるのかな・・・。

私も婦長と先生には感謝の気持ちでいっぱいです・・・w



4月半ば・・・仕事帰りに良さんと電話をしていた時に

私が交通事故にあいました。

その音が電話の向こうにも聞こえたらしく・・・

早急に電話を切りました。


事故の様子は、片側二車線の国道。

中央分離帯は花壇のようになっていて小さな木が

植えられています。

私が左車線から右車線に移ろうとして

しっかり後方確認をした後に車を発進させたら

思ってた以上に後方の車のスピードが出ていたらしく

車の右後ろから追突され、その拍子でアクセルを

少し踏んだらしく分離帯に乗っかり横転。

運転席側が上向きになって、助手席側の窓が割れてました。

私は気がつくと助手席側に倒れ込んでいました。

ギアーも外れかかっていたのでP(パーキング)に

戻す事さえ不可能でした。

取り敢えず立ち上がり、エンジンをきり鍵を引き抜きました。

さて、どうやって脱出しよう・・・。

運転席側のドアを開けようとしても、上に持ち上げる形になり

意外と重くて出られない。

すると外から


「大丈夫ですかー」


という声が・・・。

何故か不思議と冷静な私は返事をして


「トランクを開けて下さい」


と割れた窓から鍵を差出し、トランクから脱出しました。

出してくれたのは車をぶつけた相手です。

そして近くには目撃者であるご夫婦が救急車と警察に電話を

したらしく、私は取り敢えず家と会社へ連絡。

事故現場からして、無傷はありえないような状態?

でも私は自分の足で立って、歩いて、冷静でいます。

親が来る前に救急車がつきました。

私は大丈夫だと言ったけど、半ば強制?wで救急車に

乗せられて、寝かされて病院に運ばれました。





沖縄に帰った後のメールでは

毎日のように


『二人でずっと一緒にいたいね』

『必ず迎えにいって幸せにするよw』

『愛してるラブラブ 約束するよラブラブ


といったメールが送られてきてました。

そんな中でもたまに送られてくる

寂しい雰囲気のメール。

その度に私までネガティブになる。

それでも、


「必ず戻るから信じて。」


の言葉に励まされ私もまた頑張ろうと思いました。

私は仕事を頑張る。

良さんは病気と闘う。



2月末、オペのあった日にもう一つ・・・

辛い事があったらしいです。

それは・・・同じ病院に弟の彼女さんが入院していた事。

弟さんが入院してる頃にも彼女さんは病院にいたらしいです。

彼女の両親に頼まれ、弟のフリをして会ってくれと・・・。

双子の兄である良さんの事を、弟さんだと思い

車椅子で良さんの病室まで来てお話をしてたそうです。

弟さんがどれだけ彼女さんの事を好きだったのかも

分かっていたというのに、弟のフリをして彼女を

騙しているという自分が許せないらしいです。


でも彼女さんは弟さんが生きていてくれた事に勇気づけられ

翌日に控えているオペを頑張れる気になったらしいです。

彼女に勇気を与えられて良かったけども、偽りの弟を演じてしまった

良さんは、その日・・・何度も自分を責めていました。


翌日、彼女はオペをしたらしいです。

私も、良さんも、無事に成功するのを祈ってました。



3月に入り、良さんの容体も急変。

まともにメールも出来ない状態だったらしく

グリーティング(時間指定メール)でメールが来てました。


そして・・・3月4日・・・。


良さん本人ではなく、主治医の先生から

良さんの携帯メールを通して連絡が来ました。

(良さんの了承を得てメールをしたらしい)



メールをくれた時、彼はICUで治療しているとの事で

連絡が一切取れないと言っていました。

この主治医は、良さんや弟さんが子供の頃から知っているらしく

良さんにとっても信用の出来る先生だったらしいです。


それ以降は良さんと直接メールをする事はなく

主治医の先生とのやりとりが始まりました。





その胸の傷痕は

胸の真ん中から縦に15㎝程・・・

ヘソ上5㎝あたりを横に25㎝程・・・

Tの字に縫われた痕がありました。

本当は自分の傷ついた体を見せたくなかった・・・

と言ってました。


そして、彼は驚いた事に

週末に病院を抜け出して茨城まで来てくれる

というんです。

私が寂しい想いをしていて可哀想だから・・・らしいです。


私はどこまで彼に甘えてるんだろう・・・。

心臓病という重いリスクを抱えてる相手に

わざわざ危険性の高い飛行機を使って

こっちまで来させるだなんて・・・。

それでも当時の私は"会いたい"一心だったので

本当に・・・自分の事しか考えていませんでした。


Hは出来なくても、抱きしめ合う事くらいは出来る。

心臓に負担のかかった事は出来ない・・・

それは承知でした。

ただ一緒にいられれば・・・それだけでも幸せになれる。

そう思いました。



誕生日プレゼントとして送った時計・・・

毎日枕元に置いてるらしいですw

あと、一緒に買った指輪も・・・。


そして茨城に来てくれる予定日は

朝から体調も良く、午後の検査まで大人しく済ませてから

病院を抜け出して本当に来てくれました。

会えた瞬間飛びかかって抱きしめようと思ったけど

胸に傷がある事を忘れててストップされました(;´▽`A``


彼はずっと携帯の電源を落としていました。

夜は流石に病人をネカフェに寝かせるわけもいかず

取り敢えずお風呂とベッドのあるラブホへ。

しきりに傷を隠そうとする良さん・・・。

シャワーをすませた後も服を1枚着て

その上にバスローブを着ていました。

ソファーで膝枕してあげながらTVを見ていると

長旅の疲れのせいか、いつの間にか寝ちゃってました。

ソファーじゃなくベッドに行って寝ようよ

といっても起きなかったので

私が着ていたコートをかけてソファーで寝かせておきました。

私は一人でベッドに寝転がり少し泣きました。


布団もかけないで寝てしまったらしく

ふと目が覚めると良さんも少しお目覚めの様子。

寝ボケながら起き上り、ベッドまで歩いてくる良さん。

ベッドに腰をかけたかと思いきや何故か私襲われてる!?

突然押し倒され、そのまま挿入されました。

心臓に負担のかかる事をしたら危険だというのに・・・


「だめだよ!やめて!!」


といっても聞き入れてくれない。

ただずっと痛みに耐えてるような表情で犯してくる。

10分弱くらいで流石に辛くなったのか

中に出して、そのままベッドに横になり深呼吸をしている。

そのあとすぐに薬を飲んでました。

自分の命と引き換えに・・・子供を孕ませようとでもしたのか・・・。

えっちが出来て嬉しい反面、やっぱり切ない。

ここまで来て無理はさせたくなかったですし・・・。

薬を飲んだあとは大人しくベッドで寝ました。



翌日、あまり歩かせないようにと思い

ずっとドライブしてたかな・・・。

久し振りだったのでプリクラも撮りたくて

ゲーセンにも行ったりしましたw

夕方、良さんが携帯の電源をONにして間もなく

電話が鳴りました。

私から少し離れたところで電話に出る良さん。

・・・勿論電話の相手は病院の主治医から。


電話が終わると、ものすごく怒られた様で

凹んだ様子が見られました。

この時間からだと帰るのは難しい・・・との事で

翌日の午前中には沖縄に帰ると言い

その日もラブホに泊まりました。


翌日、良さんを駅まで送り


「いってらっしゃい」


を言う私。

"じゃあね"でも"またね"でもなく、"いってらっしゃい"を。

きっと必ず帰ってきてくれる事を信じて言った言葉。





沖縄に帰ると空港に救急車が迎えにきてたらしいですよ・・・。