11/6 黒部信一先生の講演会のご報告 | つながろう!放射能から避難したママネット

つながろう!放射能から避難したママネット

私たちは放射能から避難を余儀なくされたママ達です。
ココロとカラダの悩み、子どもさんの心配ごと、学校のこと、福島のこと、これからのこと、みんなで話して自分を解放しませんか。
つながりましょう。
活動拠点 ママネット@東京  ママネット@埼玉

んなに遅くなってしまい恐縮です。
11/6 黒部信一先生の講演会のご報告をさせていただきます。

”つながろう!放射能から避難したママネット@東京”では、
初主催となった講演会でした。

お招きしましたのは、チェルノブイリと福島に精通した小児科医 黒部信一先生です。





東京都の国分寺市というところで開催いたしましたが、
柏や神奈川の方々もわざわざお見えになられて、質疑応答では熱心に質問をなさる姿が印象にのこりました。

福島の人だけでなく、今、各地のホットスポットの方々が不安な日々を送られているのを痛感しました。


先生のお話は初めてお聞きしました。
詳細な資料とともに丁寧なご説明をしてくださり、チェルノブイリの惨事と比較しながらとても判りやすく説明してくださいました。
興味深かったのは、内部被爆についての防御方法です。
もちろん、汚染されていない食品を食べる事も大切ですが、
散らして食べる ということです。安全性の高いと思う特定の食品だけを取り続けるよりも、食べたいと思う食品を満遍なくたべるという発想です。

こどもの外遊びについても、
禁止ばかりをするよりも、外部被爆についてはゆるやかな態度で臨み、その分、内部被爆を気をつけてあげれば良い。など、とても現実的でポジティブなご意見もありました。

現実に起きてしまったことを悔いるより、これから未来も生き続けなければならない私たちへのメッセージが強く込められていました。
以下、結びの一説です。
明日からポジティブに生きる糸口を摑むために、是非読んでください。









『核科学は地球を変えて来ました。原爆、核実験、核医学、原子力、原発、そしてそれらに関連する様々な事故。その一つが原発事故なのです。これにどう対応し、現代(未来を含む)を生き抜いていくかが、我々に問われています。私は、もっと前向きに考え、子どもたちが、この社会の現実の中をどう生きて行くかを模索する糸口を与えたいのです。

宇宙は放射線の世界です。なぜか、地球はその中で特異な発展をして来ました。その中で我々の祖先は、放射能の少ない海中で誕生し、成長し、陸上の放射線が低くなると共に、陸上での生活を始めたのです。だから、その対策を持った者だけが生き延び、子孫を残し、子孫にその能力を伝えたのです。ですから、普通の人は、自然に暮らし、持っている能力を働かせれば、低線量の被曝を乗り越える能力を持っているのです。それが働かなくなった時に病気になるのです。それが免疫のシステムです。免疫を高めるのは、薬や食べ物ではなく、ストレス対策です。こころも体もメタルの裏(うら)表(おもて)です。心と体の疲労が免疫を低下させます。子どもたちは明るい将来を夢見、楽しく生きて行きましょう。氷河期を生き延びてきた祖先と同じように、放射線まみれの中を生き延びて行く後世人類が生じるでしょう。

 今なにをしたら良いかと言えば、できる範囲で、できることをしていくしかないでしょう。』


第二部のプログラムとして
私たち避難者ママネットのお話の時間を設けました。
強制避難区域から避難したお母さん、
郡山から自主避難したママ
のお二人にお話していただくことができました。

一人10分ほどの持ち時間ではありましたが、
それぞれが体験してきた避難のお話を皆様に聞いていただきました。目頭を押さえながらお話を聞いてくださる方が多く印象を受けました。
私自身、強制避難者のかたのお話をお聞きするのは初めてでした。自分で決断をしなければならない自主避難者も大変だと思いますが、政府の指示であれよあれよと言う間に避難させられてしまい、もう二度と帰れない、、、という強制避難者の苦悩も想像を絶するものでした。貴重なお話でした。


講演会のあとには、先生を囲んで交流会を行いました。
石釜ピザのお店を予約しましたが、参加者は大人ばかりでしたので、お寿司やさんなどに変更すれば良かったかな、、と後悔気味です。でも、先生は「わたしはピザが好きですよ」と言ってくださり、お優しさを感じました。
先生を囲んで楽しい話に花が咲きました。
小出先生との著書の秘話や、山田先生との御縁についてなど、このような場でなければ到底お聞きできないような話題に包まれた楽しい会でした!!

超多忙の中、ご講演いただき、ありがとうございました!!!
また、参加してくださった来場者の皆様。
ありがとうございました!!









2011年9月16日発売
 小出裕章さんとの共著「原発・放射能 子どもが危ない」
 文春新書。是非読んでください。
とても判りやすく書かれています。





黒部信一先生の履歴

1941年生まれ 、中学(普通部)より慶應生、1960年医学部入学、当時の安保闘争に加わり、1961年慶應義塾大学日吉キャンパス自治会後期委員長、1962年同大学生協組織部に入り、一時四谷支部常任理事、1965年慶應大学学費値上げ反対闘争で全学副闘争委員長をし、全国初の大学バリケード闘争、全学集会での方針決定という全員参加の民主化闘争をし、自主講座運動に加わる。1966年慶應義塾大学医学部卒、41青年医師連合慶應支部長、小児科医師連合慶應支部長、小児科学会評議員、同学会規約改正委員を務める。

その間、高校時代は、陸上ホッケー部、医学部ではアイスホッケー部で運動をし、主将を勤め、インターン時代はコーチをした。東日本医学部体育大会アイスホッケー部門優勝。東京都アイスホッケーリーグ3部では3位だった。

卒業後、青医連運動に加わり、研修協約闘争に敗北。1967年慶應病院小児科に入局。1968年国立埼玉病院小児科に勤務。1982年同病院小児科医長。1984年吹上共立診療所所長。2010年11月より堀ノ内病院勤務。現在に到る。

その間、小中学生のインフルエンザワクチン廃止運動(成功)、BCG反対運動(小中学生は廃止、今は乳児早期だけとなる)、日本脳炎ワクチン反対運動、森永ヒ素ミルク中毒のこどもを守る会を支え、東京森永告発に参加し、森永製品ボイコット運動をし、「光協会」という被害者救済機関を作ることで森永側と和解。また未熟児網膜症被害者の原告側鑑定と証人になり、一部勝訴したものの最高裁で敗訴。医療過誤訴訟では原告側の鑑定人と証人になり、今も続く。

医療でのX線撮影のずさんさから、医療被曝低減運動を起こし、小中学校の胸部X線検診廃止運動に成功。その縁から、チェルノブイリ子ども基金に誘われ、現地にも2回訪問。今は顧問となる。今年の3月11日の原発事故後、日本の子どもも救済しようと、「未来の福島こども基金」代表。特に内部被曝の防止を目指し、飲食品の放射能測定所を支援。測定を開始し、10月からはホールボディカウンターも稼働予定。

小児科医としては、大学での研究を拒否し、臨床ひと筋できて、総合小児科を目指し、こどもの病気全般(外科治療を除く)の小児医療をしてきました。また、診療所開業後、一般内科、心療内科(精神科ではない)を勉強し、催眠療法も手掛ける。

良い医師を知っていて、紹介できることも医師の腕の内というのがモットーでしたが、直接の友人、知人は定年で、今は探すことが難しくなりましたが、時間さえ頂ければ探します。

大人の方へ、癌と宣告されたら、癌研究所有明病院のセカンドオピニオン外来を受診することをお勧めします。癌治療には、手術、化学療法(抗がん剤)、放射線療法とその組み合わせがあり、最善を教えてくれます。                         以上。



黒部先生からのお願い:  「未来の福島こども基金」では、既にホールボディカウンターと食品の放射能検査機器5台が福島市の市民放射能検査所に入りました。本格的な運営はこれからです。続いて福島県の人口第一の市、いわき市にもホールボディカウンターを入れたいので、ご支援をお願いします。 「未来の福島こども基金」は口座名「チェルノブイリから日本を考える会」で、口座番号は、   00190=0= 496774 です。いくらでも結構ですから募金をお願いします。後日、その結果報告をお送りしますので、住所もご記入ください。領収書の必要な方は、「領収書要」と明記して下さい。できれば片隅に「K」と記入すると、私のブログを見た方と判ります。

 いわき市、田村市、郡山市にはまもなく食品の放射能検査機器が入り、各地に「市民放射能検査所」ができる予定です。食品のレッテルが「検査済」では、放射線の低いものを子どもに、比較的高いものを大人が食べると言うことができませんから、市民の手で数値のはっきりしたものを子どもに食べさせたいと思っています。