こんばんは。
助産師 井澤郷子です。
前回、子ども2人を家でみる生活を始めて
気付いた感情のことを書きました。
今回はその続き。
…♡
感情的に息子を怒鳴った後
DVDを長時間みせてるとき
決まり切った遊び方しか誘導できないとき
レトルトで済ませたとき…。
わたしは、次々と罪悪感に襲われました。
子どもに対して感情的に叱るべきじゃない
テレビに子守りをさせるべきじゃない
親が楽しちゃいけない
子どもにたくさんの経験の機会を与えるべき
レトルトごはんを与えるべきじゃない
この月齢ではこれくらいのことが出来ているべき
協調性をもつべき
ちゃんと挨拶すべき
こういう子に育って欲しい
親としての行動に対しても
子どもに対しても
こんなにたたっくさんのべきべき
が出てきました。
これらはほんの一部です。
これら、べきべきが遂行出来なかったときに
出現する、罪悪感。
子どもが、べきべきを遂行出来なかったときに
出現する、子どもへの怒りや失望、からの、自分を責める気持ち。
べきべき達って
小さい頃から刷り込まれてきた知識
昔から脈々と受け継がれている想念、集合意識。
すべき(思考)は
したい❤️(ハート)ではない。
んだなぁ。
罪悪感を感じていることに気づいたら
罪悪感を感じることを悪とせず
罪悪感をなかったことにせず
罪悪感感じてるんだね、と
ただ受け入れ、そのまま感じる。
そして、勇気を出して、本当はどうしたい?
と自分自身に問いかけてみる。
その繰り返しを日々続けています。
すると?
べき を手放したい。
べき から自由になりたい。
わたしの❤️がそう言います。
いま、一つずつ、
罪悪感を感じ切りながら
べきべきを手放していっている最中です。
♡…
子どもに対して
「こうなって欲しい」「こうあって欲しい」
という想いを乗せて
接していたことにも気づきました。
べきべきと同じだね。
その想いを手放したとたん、
子どもの良いところが
たっくさん目に入ってくるようになってきました
それはもうたっくさん!!!
人ってさ、勝手にフィルターを作って
そのフィルターを通して景色をみているんだなぁ。
フィルターが変われば
見える世界ががらりと変わるんだ。
フィルターの存在、
べきべきの存在に気づけたこと。
これも、子ども2人と、がっつり向き合う
時間が出来たからこそ、だったかなぁ
と思っています。
感情がものすごくうねり、揺れ動き
決して平和、とは言えなかった。
でも、カラフルな日々でした
その日々も、もう少しで終わり。
嬉しいけど、ちょっぴり淋しい!
さぁ、どんな世界が待っているかな??