私の生き方 +追記 | 癒しの魔女部屋

癒しの魔女部屋

日々の出来事と、誰かの気づきに繋がるメッセージをお届けできればと願っています。

今日も地球に愛と調和が溢れますように♡

こんにちは。

今日は、いま伝えたいメッセージを発信してみます。

ちょっと長いかもですが、

最後までお付き合いいただけると嬉しいですお願い

 

私は、4年ほど前に人生に絶望しまして、

そこから這い上がってきた人間です笑

 

それ以前の私は、表面的には幸せな人生、

家族もいて、子育てをしながら家で仕事をして、

豊かな暮らしをして、

でも、

内側では、想い描いた人生とは違っていて、

そんな葛藤の日々に耐えられなくなっていました。

そこから抜け出したくて

スピリチュアルを信仰し始めた頃、

同時多発的に様々な問題が起こり始めました。

そして生まれて初めて

 

自分が壊れる

 

という体験をしたのが、4年ほど前。

コロナの少し前あたりから。

表向きには平静を装っていましたが、

振り返ると、心の中は崩壊していた。

そんなつもりで生きてはいなかったけど、

今の私から見ると完全に狂っていた。

一番近くで私を見ていたはずの夫には、

長い間悩んでいたことを打ち明けると、

嘘だと言われました泣

 

数々の問題の中で

私が一番苦しんだのは、

やっぱり

 

裏切りと誹謗中傷

 

たけど、

それは今思うと、

 

大切なギフト

 

だったと、心から思える。

あの経験が無かったら私は、

狂ったままの私だったと思うから。

 

信頼していた人に手のひらを返される体験、

酷く汚い言葉で延々と嫌がらせを受けた日々。

ドラマや芸能界で見ていたようなことが

私の世界でも起こるんだ・・・

本当に「私」という存在すべてを

完全に否定される経験は、

深く深く傷として刻まれました。

 

この記事に「私の生き方」というタイトルをつけたのは、

 

あなたの生き方

 

というタイトルのDMでとどめを刺された笑い泣き経験から

 

私が完全に立ち直ったことの証真顔

 

を残したかったから。

 

「あなたの生き方」

というタイトルのDMで

人の生き方すべてを否定する。

生き方だけでなく、身体的なことまでバカにされたりしました。

もうこんな攻撃を受け続けるのは嫌だと

相手の要求をのみ、長年続けていたブログを閉鎖しました。

今思えば、当時の私は、正義感の塊みたいになっていて

いわゆる毒親や、人をコントロールする生き方に対して

過度なアレルギーを持っていたように思います。

 

↓その頃のことを振り返った記事

まだ被害者マインドから抜け出せていない
お花畑スピリチュアルだった私が書いています笑

 

 

今の私の理解は、

そんな出来事を作り出していたのも自分自身で、

それだけ自分を否定しながら生きていたし、

問題の数々は、それに気づくきっかけを与えてくれた

という思いだけになりました。

 

それが宇宙の法則であり、

愛なんだと深く感じることが出来ると、

感謝しかなくなります。

 

そのことに気づいた時、

本当の意味で苦しかったのは、

苦しくても苦しいことを

一番わかって欲しかった夫に理解されないこと

だったのかもしれないと思いました。

 

それは、本当の私が、人間の私に抱いている想いとも言えます。

そんな生き方を選ばないで欲しいって。

 

日常の些細な言葉に傷ついて

まるで洗脳のように、自分の価値を感じなくなっていた

そんな私から抜け出したくて、

本当の私が作り出した出来事だったのかもしれない。

だから、

 

誰かの言葉で、自己価値を下げる必要なんてない

 

そのことに気づいた今は、

長年ストレスだった夫の

天然系モラハラw

全く悪気なくナチュラルに人格を否定したりするやつ

までもがなくなりました笑

その経験をする必要がなくなると消えていきます。

何かに気づく必要があると、また何かが起こります。

 

たったそれだけの宇宙の法則。

それが愛の本質であり、

私たちが感情的に経験する愛とは異なるものだと、

今の私は思っています。

上手く言えないけど、私たちの思っている愛とは質の違う、

もっと数学的な?科学的な?

そういうもののような気がしてならない私です。

 

 

行き過ぎた誹謗中傷などの行為は、

自己否定のエネルギーから生み出されるものである

ということも否定できないと思ってしまいます。

 

だから、そのような現実を経験している方には、

 

知らず知らずのうちにやっている

自己否定に気づいて

早く抜け出して欲しい

 

というのが私の想いです。

誹謗中傷に限らず、

自分を否定してくる相手や

否定したくなるような相手が現れるというのは、

その人は、

自分が一番嫌っているを見せてくれている

ただ、それだけだと思います。

 

深いところに眠っている

出てこないように奥に押し込んでおいたものが

引っ張り出されてきて、

揺さぶられれば、揺さぶられるほど、

相手への憎しみや嫌悪感が湧いてくる。

 

その気持ちを相手にぶつけたら

どうなるのか?

 

自分を傷つけていることと同じなので

傷がもっと深くなる。

もっと自分が嫌いになる。

 

相手にぶつけることが出来ないかわりに

自分にぶつけたらどうなるのか?

 

生きる気力を奪われます。

誹謗中傷をきっかけに自分との約束を果たせず

人生というゲームを終えてしまうことは、

自分とのゲームに敗れたということになります。

それが現実世界では、

 

誹謗中傷に負けた

 

というシナリオを残し、負のエネルギーは連鎖していきます。

そう考えると、後味悪すぎますよねチーン

 

だから、私たちの選ぶ道は、

宇宙の愛(法則)に気づくことのほうがいい。

嫌っている自分に気づいて、それも大切な自分の一部だと認めること。

そして、もっと、もっと自分を大切にすることを学ぶこと。

地球的な愛も大切!

 

 

すべてのことには意味がある

 

とも言えるけど、

今の私にフィットする表現は、

 

意味を与えるのは自分

 

だから、

 

自分が一番心地よいと感じる意味で

出来事を捉えたら良いんじゃないかな?

って思って生きていますデレデレ

それが、私の生き方なのだ!

 

 

誹謗中傷に対しての現実的な話としては、

今でも当時のやり取りは全て保管してあります。

弁護士さんに相談したりもして、そのようにしています。

本当は抹消したかったりもするけどwww

いくら起きたことに対して感謝しかないと言っても、

現実世界で最低限、自分の身を守る備えはしたほうが良いと私は思いますニヤニヤ

何事もバランスですからお願い

 

誰かの言葉に傷ついて悩んでしまう人が

少しずつ減ることを願って虹

 

2024.6.13追記-----

 

 

 

今朝、このニュースを見ました。

この事件とは関係のない話ではありますが、

私自身、脅しというか、ゆすりみたいなことも経験した身として、

どうしても一言書き記しておきたくて。

 

特に、まだ人生経験の少ない若い子たちへ。

 

何か問題が起きた相手から

自分に非があることを必要以上に責められたり、

それによって金品を要求されたり、

家族や大切な人に危害を加えると脅されたりしても

 

決して、

一人でなんとかしようとしないで!!

 

会ったこともない人に一人で会ったりしないでほしい。

冷静な判断をさせないように

急に家におしかけたり、

SNSで相手が困ることを流したり、

あらゆる手段で追い詰めようとしていても。

 

狙いは、焦って要求をのむことだったり

ただ苦しむ姿を見て鬱憤を晴らすことだったり

いろいろあるとは思いますが、

そういうことで問題は解決しない。

 

周りには沢山の大人がいます

 

一人目はダメでも

諦めないで相談し続ければ

そのうち力になってくれる人に出会えるはずです。

お友達でもいいし、

近所の人でも、たまたますれ違った人だっていい。

 

相談相手も一人じゃないほうがいいとも思う。

子供にとっては難しいことだけど・・・

 

その行動は、深いところでいうと

双方を助けることに繋がります。

 

私の生きていた時代は、

ちょっと悪口を言っただけで

呼び出されてボコられるみたいなことはよく起きていて、

喧嘩しておさまるみたいなこともありました。

喧嘩で殺されてしまった悲しい事件もあったけど。

 

なんか今って、そういうヤンキー同士の喧嘩じゃないですよね。

弱いものいじめ。

 

今の子たちは、そういう激しい時代を生きていない。

だから正常な判断がつく相手かどうかの嗅ぎ分けも難しいだろうし、

何をしたら人が死んでしまうのかも

もしかするとわからないのかもしれない。

 

私たち大人も今や若い子に注意とかが出来なくなってる。

少額のお金で簡単に人を殺してしまう世界もあったり。

 

もし、この事件の容疑者のように

「あの子ならやりかねない」なんて思われる子がいたなら

早い段階で生き方をシフトさせてあげられたら・・・

などと思ったりもして。

 

誰もそんな生き方を選びたいって思って生まれてきてないはず。

そんなことを想う時、

私には、なーんに出来ないなって思うけど、

そんな風に想う人が増えることも絶対に大事だって思う。