今日は、お仕事ブログを加筆、修正してお届けします
娘が引いたカードからのメッセージです。
いつも早朝から自室で仕事をしている私に、子供たちは起きると、おはようの挨拶に来てくれます。
お手洗いついでなので、すぐに来ない日もありますが
我が家は朝型ファミリーなので子供達も5時過ぎに起きて、ゲームなど自分時間を過ごしています。
そんな時、たまに「カード引く?」と言うと喜んでくれる娘🩷
どうも「引く」という行為が好きみたい。
一応、軽くリーディングすると話を聞く素振りは見せるものの、明らかに右から左。
でも彼女に必要なメッセージであることは間違いないので、子供に対しては小出しで伝えるようにしています。
だいたいカードに繋がる出来事が起こるものなので、その時に「それな カードが言ってたこと 」
といった感じで伝えます。
そして数日は引っ張ります
私は、このカードのメッセージを多くの子供達に伝えたいと思って準備しています。
なので、この経験は宝。
スターチャイルドのみんなが、どのように自分が存在する意味を思い出していくのか?
そして、そのことをスターマミーにも知ってもらいたい🩷
そんな気持ちで日々を過ごしています。
(こちらもぜひ読んでほしい)
今日このカードからお伝えしたいメッセージはというと、「善悪をジャッジせずに受け止める」ということもそうですが、
この世界は神様の遊びのようなもの
ということのほう。
解説書の中の刺さる一文であり、人間として懸命に生きている私たちには残酷な言葉にも聞こえますが。
最近の投稿で書いてきたカサンドラ症候群を克服するためにも、ここの理解も大切だなぁと思っています。
自分がずっと大切に持ってきた常識だったり、良心だったりというものを見失ってしまった時、それは、一般的な善悪という判断、価値観を手放す時です。
相手を自分の価値観で正そうとしても、どうにもならない相手に出会った時、相手を受け入れるということは自分を守ることでもあります。
そもそも正そうなんていう感覚も、本来の私たちから離れてしまっているということ。
でも、やり方を間違えないで欲しい。
受け入れるというのは「折れる」ということではないのです。
それは、自分の「善」も同じように手放すということ。
自分が正しいなんて、自分がそう信じているだけで、賛同してくれる誰かがいたとしても、完全に同じ価値観などというものは存在しない。
許せないという思いや、受け入れられない自分への葛藤があるのなら、この言葉を思い出して欲しい。
この世界は神様の遊び
この世界は、
私の神聖なる I AM(アイアム)が
遊んでいるゲームなのだ
ゲームは、ついつい真剣になってしまうけど、深刻になることはないですよね?
人生をゲームのように、時に真剣に、でもプレーをやめる時間を持って、もっと軽やかに生きられると良いと思います。
※神聖なI AMとは、人により解釈は違うと思いますが、本当の私、魂?とでも言いますか、私たちが認識している「私」というのは、本当の私が遊んでいるお人形、アバターのようなものというニュアンスで使っています
二元性においても、善悪をジャッジし合う時も楽しい、それを手放している時も楽しい。
もう、どっちでもいい!
深刻にならなければね。
by 神様( I AM )
くらいの感覚を持ち合わせていれば、この世界も楽しく生きられるのかなぁ?と思っています。
人間は結局、受け止めきれないほどの大きな問題が起きないと、そういうことになかなか気づけない。
今までは、そんな時代でしたけど、
今は、違います。
ライトランゲージカードも、そんなことに気づいていくツール。
私の学んでいるエナジェティックエッセンスも同じ。
人生は「かくれんぼのゲーム」という言葉もあります。
自分が忘れてしまっている、隠れている自分を見つけていくゲーム。
地球で過ごす時間を、
ゲームのように遊んでみませんか?
二元性のカードは、
陰の人と陽の人が肩を組んで、そんなことを語りかけているように私には見えます。
私がしきりに深刻さを手放そうというメッセージを送り続けるのは、
そうでもしないと人生なんて
やってられない
って思うからだったりします。
私が隠れ真面目バイブを持っているので、私の古くからの友人などは、芯が真面目という人が多いです。
そして、どういうわけか苦しい状況に追い込まれてしまう
私の友人にも
死にたいと思いながら生きている
という人が何人かいます。
私自身もそんな時がありましたし。
だからそれって、普通のことと思っていたんですけど、
スピリチュアルな方々と出会うようになって
それが普通ではないということに気づいたりして
私は、死にたいと思うほど真剣に何かに向き合っている魂を、とても美しいと思ってしまいます。
苦しい人生から逃げたいから「死にたい」と思うように見えるけど、逃げたくなるくらいに真剣に人間であるという人生に向き合っているんですよね。
そんな美しい魂を持っているのだから、ちょっと視点を変えていくだけで、
もっと、もっと輝く
ということに気づいて欲しい。
人生の美しさって、生きる意味を見失うほどの何かに遭ってから出現するものかもしれません。
自分には見えないですが、本当の私であるI AMは、その美しさに震えていることでしょう
【ご注意】
くれぐれも「苦しみの中で生きる美しい私」をアイデンティティにしないようにして下さいね