生きた日々を尊重したい +追記 | 癒しの魔女部屋

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日々の出来事と、誰かの気づきに繋がるメッセージをお届けできればと願っています。

今日も地球に愛と調和が溢れますように♡

今日は少し辛いお話です。

私が人の心に寄り添える人間になりたくてやっていることなので、一般向きの話題ではないです。

くれぐれもご自分と向き合うことを探求し過ぎないで下さいね♡

 

 

では本題に参ります。

ここ最近、自分の感情と向き合うことに徹底的に取り組んでいて、未消化の残り滓や、消化を諦めて奥底にしまっておいた悲しみが炙り出されている私です。

 

今までは一人でやってきた作業を、仲間と一緒にやることで、やっぱり自分だけでは向き合えていなかったものが出てくるものだなと実感しています。

決してお勧めしているわけではありません

とても辛い作業です

 

数年前に衝撃的な死を遂げたあるお母さんとお子さんのこと、そのことは、そっと胸の中にしまっておこうと思っていたこと。

でも出てきてしまって、その必要があったことにも気づきました。

 

私の抱えていた悲しみの本質、それを知ることが大切なのかもしれない。

そう思い、あらゆる感情を紙に書き出してみました。

これまでも何度もやってきたのですが、また改めて。

 

たぶん私は、彼女の死を尊重したいんだと思いました。

それを誰かに伝えたいんだと。

世間一般的に、自死した人の苦しみに心を寄せる風潮はありますが、自死=罪なこと、みたいな概念は確実にあると感じます。

 

特に他の誰かを巻き込んだり、人に迷惑をかけたりすると尚更。

現実的な損害や風評被害などに遺族や関係者が苦しめられる現状もありますので

私の身近で起きた自死では、自死した人を責めたいという感情を持つ人がいたように思います。

または自死した人の身近にいる人を責めたりも

言葉にされることもあれば、別の言葉にそういった感情が乗っていることもありました。

それは親族の時もあれば、インターネット上の見知らぬ人物だった時もあります。

 

そう言った感情を持つ気持ちはわかるけど、そのような風潮は無くしていきたいのが願いだったりします。

もちろん行き場の無い悲しみからくるものもあって、人間なんだから仕方のないこと。

でも、死を選ぶって極限ですよね。

「死にたい」という強い欲求を持っている人に

あるいは生きたいと思えない人に

「死ぬな」と言うのは、あまりにも酷なことだし、

かと言って四六時中一緒にいてあげることも出来ない。

 

「死にたい」と言えない人も多いし、

自覚していない人も多い。

 

極限まで追い詰められた人は、そこから絶対に逃れられないと思っているし、周りの言葉は聞こえないんだと思う。

だから、そうなってしまった人を責める風潮は無くしていきたいし、死にたくなるほど悩まない生き方をして欲しい。

 

日本は自死が多すぎます。

それって、なぜだと思いますか?

私は、なんとなく、自分を責めるお国柄だし、また他人を責めるお国柄だからなんじゃないかなって思います。

 

自責の念も強いから、他責の念も強い。

真面目さゆえに。

 

それが全てではないですが、そんな感じもしませんか?

 

前述の彼女が子供2人を殺害し自死した時、

ニュースの報道も実名でされ、殺人事件のように扱われていました。

偶然現場付近に居合わせた私は、救急車にパトカー、空にはヘリコプター、多くの人だかりから、事故ではなく、事件なんだなと認識しました。

 

もし彼女一人だけ死にきれなかったら、

彼女は殺人犯なんだ。

私は本当の本当の本当の気持ちを言うと、皆んな一緒に旅立てて良かったとも思いました。

残されたご主人や親族の方を想うとまた違った感情も湧きますが。

 

彼女について、インターネットでも誹謗中傷されていると聞き、1件だけ見てみましたが、それ以上は見る気にもなれず。

近しい人しか知り得ない内容、それは、誰かが記者にでも話したの?

それとも身近な誰かが書いてるの?

人間不信にもなりますよね。

 

内情を知らない人が実名を出して好き勝手に発言するなんて

愛はどこへ行ってしまったのかなぁと思います。

 

子供も連れて行かなくてはいけないという結論は、彼女の愛だったかもしれないと私は思っています。

 

彼女の死に対する私の悲しみは、彼女の死を尊重したいんだと思っていたけど、そうじゃなくて、本当は彼女の生きた日々を尊重したいのかなって今は思います。

自死ともなると、「死」にばかり目がいってしまって、自死遺族の方との関わりも変な気遣いをしてしまっていたかも知れません。

自死を選んだ人にも必死に生きた数年、数十年という日々がある。

それは本当に尊い人生。

そのことに、もっと目を向けたいと思いました。

 

可愛い、可愛い子供たちの笑顔。

幼稚園行事の時、彼女のために撮った動画は今でも大切に保存してあります。

園バスのバス停で1番のしっかり者で、いつも頼りにしてた。

私が引っ越してからは会う機会が減ったけど、下の子が同じクラスで、遠足にも係で付き添ってくれていたなー。

本当に毎日頑張って生きてた。

 

23.11.17追記-----

 

亡くなった人が肉体的な苦しみから解放されたということも忘れてはいけないなと思います。

ちょっとスピリチュアル的な考え方を入れますと、自殺できたということは、魂が死を受け入れたということになります。

許されたということ。

その領域は私たち生きている者が立ち入れない領域。

残された我々が生きていくには、その死を愛で受け入れることも大切なのかもしれません。

ふと、そう思いました。

 

自死も病死も事故死も全て、自身の魂が選択したことだと言われています。

なかなか受け入れられることではないですが、その人へ愛だけを向けることで乗り越えていけるのかもしれません。

 

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まだ誰にも話せていないけど、

そのうちに、今一緒に学んでいる仲間には話せる時が来るのかな。

その時がきっと悲しみが和らぐ時なんだと思っています。

 

気持ちを誰かに話して受け止めてもらうことって大切なんだなぁと思います。

でもそれって、自分のことを何も知らない人のほうが良いのかも知れないとも思いました。

自分も相手のことを知らないからこそ話しやすいことって沢山ある。

 

電話で悩みを話せる機関の一覧です↓

 

 

それぞれの機関がどのようなポリシーで運営されているかは分からないのですが、恐らくどこも善意のある方たちが親身になって話を聞こうとしてくれるかと思います♡

 

当然人間なので相性もあります。

人の感情を受け入れられるキャパにも違いがあります。

一度嫌な思いをしたからといって諦めてしまわずに、批判的なコメントなどもせずに、ただ話を聞いてもらって欲しいと思います。

 

そこに何かの気づきがあるかもしれません♡