大阪の合気道に通ったことがある。
肺が悪く直したかったから
呼吸法なんてできたらよいなと
考えた。
でも、そこじゃないんだよね。
最近、瑞霊さんのブログから抜粋
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合気とは、敵と戦い、敵を破る術ではない。
世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。
合気道の極意は、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させることにある。合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、「我は即ち宇宙」なのである。私はこのことを、武を通じて悟った。
いかなる速技で、敵がおそいかかっても、私は敗れない。それは、私の技が、敵の技より速いからではない。これは、速い、おそいの問題ではない。はじめから勝負がついているのだ。
敵が「宇宙そのものである私」と争おうとすることは、宇宙との調和を破ろうとしているのだ。すなわち、私と争おうという気持ちをおこした瞬間に、敵はすでに敗れているのだ。そこには、速いとか、おそいとかいう、時の長さが全然存在しないのだ。
合気道は無抵抗主義である。無抵抗であるが故に、はじめから勝っているのだ。邪気ある人間、争う心のある人間は、はじめから負けているのである。
ではいかにしたら、己の邪気をはらい、心を清くして、宇宙森羅万象の活動と調和することができるか?
それには、まず神の心を己の心とすることだ。それは上下四方、古往今来、宇宙のすみずみまでにおよぶ、偉大なる「愛」である。「愛は争わない」「愛には敵がない」何ものかを敵とし、何ものかと争う心は、すでに神の心ではないのだ。これと一致しない人間は、宇宙と調和できない。宇宙と調和できない人間の武は、破壊の武であって、真の武産(たけむす:神道の真理の言葉)ではない。”
(植芝盛平先生口述「武産合氣(たけむすあいき)」
痺れます。
自分じゃない場所に
魂をおくこと。
それができたらなんの不安も
苦しみもなく
ただ
あるがままに流れる風を
感じながら
意識を神の心 すなわち無心に
なり、信じ切ることかなと
私なりに理解しました。
時折、心配したり
うまく行かないと悩んだり
気をもんだりしますが
全ては神の内にあること
ただ、任せて生きるで良いのかな
そんなことをしみじみした
1日でした。
満月も近い
自分から弱音を探さずに
ただ、素直に生きよう!
そうまた、思い直して生きよう
マリア