瑞霊に倣いてさんの記事から


悲しみの受け止め方の違い。

霊と原世界にいる私たちとは

世界がちがうから

感覚もちがう。

シュタイナーはこう言っています。

老人の死 (シュタイナー人智学)

 

 “「死去した老人は、悲しくないのだ」といわれる。

 どうしてかというと、「死去した老人は、その心魂のなかに、わたしたちのことをたずさえて、天に向かうからだ」というのである。死去した老人の心魂のなかには、わたしたちが生きているというのだ。

 老人は、死によってわたしたちから切り離されるのではない。心魂のなかにわたしたちをたずさえて、天に向かうのである。老人の死を悲しむのは、残されたわたしたちだ。死者自身は、悲しみよりも霊的な喜びに浸っているかもしれない。


私は祖母が亡くなった時

100歳だったので

子であった私の母や叔父叔母たちは

悲しいは表現しなかった。


突然、私の娘がポロポロ泣き出し

娘にしたら曽祖母でそこまで交流もなかったのに

何をそんなに泣くのか?と聞いたら

『みんなが来てくれて嬉しい』と

ひいばあちゃんが泣いてると娘が言う。

そして

その時、学生服の若い男性が

おばあちゃんを迎えに来たの!と

話しだした。

頭のシャープな男性だったと。

それは祖母にしたら次男だった叔父

若くして亡くなった。

皆で、自分の息子に迎えに来てもらって

あの世に悲しまずに

ありがとうの涙を流して帰った祖母。

みんなで良かったねと

手を合わせた。


それから、霊魂は

喜びながら帰る場合もあると

知りました。


私たちは悲しいけど

死者は喜んで帰るなら

ありがとうを告げ

感謝の涙を流しながら

お別れしてゆきたいものだと思う。


どんな人も最後には肉体の衣を脱ぐ。

いつどんな時も

感謝や愛を伝えて

送り出してあげたいと思う。


あなたがいたから,私がいるのだから。



ふと、思った今日の1日







マリア