10年前のfacebookの記事から

再投稿デス。



催眠療法講座をしていると  

良き副産物がある。


わたしは人にセッションする側の人だが
たまに、練習でかけていただく事がある。
そのときに 
いろんな感情がまたまた吹き出る事も有る。
催眠療法は一度受けると
じわじわと脳の中で切り替わっていくので
思わぬ時に現れたりもする。
そうとう感情など出したはずなのに 
まだまだ忘れていた事が出てくる。

今日の催眠セッションのかたは二回目だが
まだ何かある感じがするので・・・
とのことでセッションをしたのだった。
出てきた出てきた・・・ 
言いたかった事悲しかったことの
すべてを出しつくし、すっきりされて
別人のようになって帰られた
本当に明るくなるものなのだ・・。

さて、そんな事を踏まえて帰り道に色々考えて
ぼーっと眠気と戦っていたら
ふと思い出した感情があった。
これはそのセッションをした方の
感情と向き合ったから
自分の中にある
仕舞われた感情にひっかかったので
出てきたものなのだが

ウトウトする=アルファ波に入った状態。
アルファ波=潜在意識とアクセスできる状態・・
のことなのですが
心の中で潜在意識を優位にする行為なので
催眠療法のセッションを受けてるのと
似た状態になる。

そこで思い出した感情というのは
父のことだった。
私の父は私が12歳になったばかりのある日
職場で心筋梗塞で倒れ 
そのまま他界してしまったのだが・・

わたしは母が呼び出され 
会社に行ったのを見送ったが
まさか父がその段階で亡くなっているなど
知らずにいたので
父が白い布をかぶせられて帰ってきた時
まさしくフリーズしてしまったのだ・・。

母が私に 「しっかりするのよ!」といって
遺体を運んでくれた会社の人にあれこれ指示をしたり
話をしているのを尻目に
一人で泣き崩れるしかなかった。

あの時、訃報を聞いてやってくる親戚縁者
みんな母に大変ねとか
急な出来事でみんなもショックだったから
母と抱き合って泣いていた。

だが、わたしは誰とも
悲しみを共有する事ができなかった。
私の悲しみを放出する作業は 
まだ終わってはいなかったのだ・・。

わたしの悲しみはどこかに追いやられていて
催眠で教えるとおり
大人と子供の境界線
クリティカルファクターを引き
大人になるしかなかった。

潜在意識下でわたしは父の亡くなった悲しみを
子供の側から泣いて訴える事ができなかったのだと
わかった。

父が亡くなったその後、
私の不安定さが続き 
表面は明るくこなしていても
わたしは夢遊病者になり
母に告知を受ける事になる。
わたしは夜な夜な家の中を歩き回るように
なっていたことも知らなかったので驚いた。
そしてまた、大人になろうと
努力してしまったのだった・・・。
其れを、はた❗️・・と思い出し
夕刻から帰り道で泣いた。
ハンカチを取り出し
流れる涙のままにして
泣いた・・。

子供の私として
父を亡くしたショックと
父の不在の悲しみを
涙とともに吐き出した。

母と泣きたかった。
母に抱きついて母と父が亡くなった悲しみを
共有したかった。
母もシングルマザーになり
全てを一手に引き受けて
まさしく泣いている場合じゃない!
という状態で
娘と手をとりあってヨヨと泣くような
そんな状況じゃなかった。
だから、仕方ない。
誰もみんな目の前のことにいっぱいいっぱいだったし
子の私も目まぐるしく
変わっていく状況になすすべもなく
まるで嵐が起こったかのように
その状況が去るのを見ているしかなかった。

いまになり、その事を理解し
私のトラウマの一つを開放できた。

お父さん 何故死んじゃったの?
私の特等席。父の胡坐の中
ほっぺたへの痛い髭の頬ずり攻撃。
忘れようとしていたいろいろが出てきた。

解放だな
素直に泣きたかった私
解放できたな・・

かくも 人の心の奥は 複雑なもの
催眠を勉強して本当によかった。。
教えるほうも解放
ありがたいことだと思う。

自分が大変なとき
人は側の人間には目を向けられない。
だからこそ
近くにいる人が
子供達のケアに目を向けてあげてほしいと
願います。
子供はたくさんの傷を抱え
未来の生き方に影響してしまう。

そこがケアされる世の中に
なってもらいたいと
つくづく思う。

秋以降は個人セッションに
向き合っていくつもりです。

秋の深まりの中
自分を見つめ返す時間を
作ってくださるように
向かっていきたいと思っています。











マリア