常日頃

祝詞奏上するのは当たり前だけど

思い出すエピソードがある。


十五年ほど前の話。

一度鑑定したことがある方から

夜中

電話が鳴った。


夜中電話鑑定をしているから

遅くでも起きているが

電話が鳴った途端

只事じゃないのがわかった。


『先生❗️助けて❗️お願いします❗️』

なに?

どうしたの?

『姉が入水してしまい、引き上げられたけど意識がなく今夜がヤマなんです❗️なんとか助けてください❗️』


北海道石狩の海に

入水してしまったお姉さん。


意識を向けると

とても危険

できる範囲でと思い

十種神宝祝詞を奏上しはじめた。


十種神宝祝詞は死にかけたかたも

呼び戻すと言われるほどの力を持つという。


結果はまだわからない

一心に祈った。

ただ、一心に。。。


小一時間すると

メールが来た。

『少し持ち直しました❗️』

血圧も上がり始め

心拍もハッキリし始めたという。


よし!まだ頑張る

とにかく祈りつづけた。


ところが、朝の四時ちかくになると

なにかが変わり始めた。

そのお姉さんの生体反応が薄れてきた。

祈っても祈っても

吸い込む感がない。

ダメかもな

と、同時に光に包まれ幸せそうな

お姉さまらしき方が視えた。

神々しかった。

『寿命』という文字が降りてきた。

生体反応がプツリと切れた。


電話が鳴った。

『ダメでした』オイオイと泣く彼女に

今の話を伝えた。

お姉さんは苦しくて不幸じゃなく

お姉さんのタイミングであちらに帰りたかったの。

尊重してあげてね。。。

辛いだろうけど。


朝の四時すぎ

生き霊や亡くなった方が黄泉に還る時間。


しばらくして

お葬儀を終えた彼女から連絡が来た。

自宅に遺書があり、覚悟をしていたこと

誰のせいでもないこと、残された両親をたのむ

と、記してあったと。

残された側は辛いだろう。

でも、お姉さんは肉体の衣を脱いで

幸せそうだった。

そこを大切にしたい。


十種神宝祝詞は

確かにしばらくは効いていたしかし

運命、寿命にはかなわない。

しみじみした出来事でした。


私は印を組みながら祝詞をあげますが

昔のわたしのブログから

載せますね。


十種祓詞(とくさのはらえのことば)

高天原に神留り坐す 皇親神漏岐神漏美の命以ちて 皇神等の鋳顕はし給ふ 十種の瑞宝を饒速日命に授け給ひ 天つ御祖神は言誨へ詔り給はく 汝命この瑞宝を以ちて 豊葦原の中国に天降り坐して 御倉棚に鎮め置きて 蒼生の病疾の事あらば この十種の瑞宝を以ちて 一二三四五六七八九十と唱へつつ 布瑠部由良由良と布瑠部 かく為しては死人も生反らむと 言誨へ給ひし随まに 饒速日命は天磐船に乗りて 河内国の河上の哮峯に天降り坐し給ひしを その後大和国山辺郡布留の高庭なる 石上神宮に遷し鎮め斎き奉り 代代其が瑞宝の御教言を蒼生の為に 布瑠部の神辞と仕へ奉れり 故この瑞宝とは 瀛津鏡 辺津鏡 八握剣 生玉 足玉 死反玉 道反玉 蛇比礼 蜂比礼 品品物比礼の十種を 布留御魂神と尊み敬まひ斎き奉ることの由縁を 平けく安らけく聞こし食して 蒼生の上に罹れる災害また諸諸の病疾をも 布留比除け祓ひ却り給ひ 寿命長く五十橿八桑枝の如く立栄えしめ 常磐に堅磐に守り幸へ給へと 恐み恐みも白す



大事な祝詞

普段はあげませんが

大事な時には奏上したいと思います。







マリア