人には

すぐわかることと

後でわかることがある。


これは、日々是好日

という、映画であったセリフだけど


そう、こころも

すぐわかることと

後でわかることがある。


その人のこころが

整ったり.時期が来たら

わかったりするもので、

それまで人は、なにか

魂の養いになることをしたりすると良い。


お茶だったり

フラワーアレンジだったり

絵を描いたり

歌を歌ったり。。。

ようは、言葉じゃなくて

なにか自分に向き合う時間が

必要なんだってこと。


最近すごく思うのは

意識でよくなろうとすることは良いけど

無意識を忘れてるなってこと。

自分の脳が気づいてないことも

魂には繋がっていているから

なにか自分の中にヒットすることが

あって初めて、ハートのピースが

はまるわけだけど

無理に当てはめたり

多分そうだろうとか

ハートの深い部分を蔑ろにして

綺麗な言葉で飾ったり

見なかった事にしてはいけない。

そうすると、嘘の鍵穴に鍵をさしこむから

結果扉は開かない。

開かない事にまた傷つく。


人生はなかなか、

覚醒しない旅。

覚醒するために、生まれてきたのにね。

感情をどうか蔑ろにしないでください。


さて、昨晩、養老孟司さんの番組を観ていた。

なにか、染みることを言われるな

この方は。。。と

Wikipediaを見てみたら

こんなことを書いていた。

養老先生は4歳で父を喪った。



自分の中には

受け入れる時間が存在する

その人なりの。。。


失恋も

人の死も

仲間割れも

なにかの痛みは

自分なりの、受け入れがなくては

納得はできない。

表面のみの、納得にならないように

自分の感情に向き合ってみてくださいね。


無かったことにしない。

大事なことですよ。





マリア