神戸にいるころ

東京の友人が場所を提供してくださるので

月一通ってお仕事させていただいていました。

友人があちこち、

お客さまにどんどん声をかけてくださり

東京での仕事の礎ができた頃の事でした。


一泊させていただきながら

レイキ伝授や、鑑定やヒプノセッションが

終わったころ。

どうしても、話をさせて欲しいと

いう方が、ツテを頼って来られた。


土気色の顔。

お話する前から全身に痛みが走る

胸が痛い。。。

病気を患っておられるのかな?


案の定、乳がんからあちこち転移して

実は抗がん剤治療をしていて

一旦家に帰っているとのこと。

またしばらくしたら、抗がん剤治療のために

入院しますとのこと。


たまたま飛行機を取っていたので、

ヒプノセッションをする時間はなく、

お話をうかがうことにしました。


聴くとその方は、良家のお嬢様で

長女で幸せに産まれ来た方でした。

しかし、小さな頃からお母様が

毎日『死にたい、死にたい』

『生きていてもつまらない』と

愚痴ばかりこぼされて、その慰め役として

生きて来たのだそうです。

イネイブラーと言う『支え役』になってしまった

彼女は、母の面倒をみながら育ちました。


学校を卒業し、結婚し

子供にも恵まれましたし、ご主人も

良い方でしたが、単身赴任が多く

一人で家庭や親を支えていたようでした。

ある日、癌が見つかりました。

何度も手術をして来たのだそうです。

いまも、4回目の入院が済んだばかりですと

力なく話してくださいました。

彼女がすがるのはキリスト様でした。


毒親っていう言葉がまだなかった時代です。

彼女には親のせいで自分を見失って

しまった事。

共依存になってしまっていたこと。

我慢ばかりして我慢が癖になり

自分を痛めつけていたこと。

それらに気づいてなかったこと。

キリスト様にすがり、我慢に気づかず

真実が見えなかった事で

我慢が美徳と親からの刷り込みに

耐えて耐えてしまわれたのですね。


貴女が悪いわけじゃないですよ。

気付いてみませんか?

先祖が悪いわけではありません。

ただ、ご先祖の生きて来た道のりが

パターンになっているだけですよ。

辛かったですね。

我慢をやめて自分を許してください。



彼女は大粒の涙を流し

突っ伏して嗚咽を上げて泣かれました。

『やっとわかりました。

私は我慢をして来たのですね、

娘だから母親の言うことをきかなければ

ならないと思い込んでいました。私を苦しめても、

母は私が癌になっても、私を心配することなく

まだ、死にたいと言いつづけ、

どこも悪いところもなく元気でいます。

そして、貴女が死んだら私はどうすればよいの?

と言ってくるのです。疲れました、本当に

疲れました』

そういってますます、泣かれました。


最後はまた、連絡する旨を話して

私は帰りました。

彼女は、最後に『マリアさん、飛行機に遅れないように。もう、大丈夫です。もう少し泣いてゆきます』と

言って泣いていました。


その後メールのやり取りをして

励ましたり、お話を聞いていたのですが

彼女は確実に変わりました。

死にゆくことは受け入れておられましたが

『生きている間、わたしは自由だと言いつづけ、

頑張った自分を褒めています。苦しんだ理由が

わかったから、母を赦すこともできます』 

そうおっしゃっていました。


そんなある日

広島にお仕事に参りました。

翌日、出雲大社にいく予定で

レンタカーを借りてましたが

広島には珍しく大雪になった朝でした。


朝から風が吹くたびに

『ありがとう』『ありがとう』と聴こえます。

風もピンク色の風で、

天使が舞っているかのようでした。

キラキラのオーラも見えて、なんだろうと

車を走らせていました。

出雲大社のあと、美保神社に向かっているとき

大雪が晴れて海に綺麗な虹がかかりました。


なんだから祝福されているなあと

喜びながら帰りました。

翌朝、友人から連絡が来ました。


彼女が昨日の朝亡くなったのだと。

入院前に、朝ご主人が目覚めたら

ベッドの中で眠るように亡くなっていたそうです。

とてもとても、穏やかで幸せそうな

顔をなさっていたそうです。

メールのやり取りを見て、

私に伝えてくださいとのことでした。


昨日のキラキラとありがとうは

彼女でした。

私は人は亡くなって境界を超えたら

痛みも苦しみもなにもなくなると

知っていました。

亡くなった彼が来てくれたときも

ピンクの風になって、抱き締めてくれたことが

あって、死者には意思があるんだなと

わかりました。


そんな事があってから

わたしは、死生観の大事さを感じて

グリーフケアや、看取りを学びました。

そんな理由もあります。

死は怖いものではない。

だけど、死を選んでもらいたくはない。

生きている間にありがとうとか

幸せとか、笑顔でいられる自分になってもらいたくて

この仕事をしています。


自分に気づくこと。

愛する事

幸せと思いながら暮らせること

お金がある、ないじゃなく

こころだけは、自分のものですから

痛める事なく過ごしてもらいたいと

願っています。


まだまだ、先のお仕事頑張ります。

みなさんが、笑顔で生ききっていただくためにも。




華道を学んだとき教えられました。

野にある花は野にあるように

あるがままを活けなさい。

凛と咲いてる花の姿を受け取って

花を活けなさいね。と


野の花は野にある様に 

私もそうありたいと願っています。





マリア