2018年記事
再掲

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私が昔  お勉強していたころ
霊的世界は三角形
地獄の上に幽界その上に人間界、霊界、神界
と、本にかかれていた。

信じていました。
しかしある日
疑問に思ったのです。

守護霊は私たちを守らんと
守護してくれているらしい
ならばなぜ良くならないか?

ありがたいなと日々
朝晩、般若心経を唱え
守護霊さま、守護神さま
ありがとうございますと祈り
般若心経を毎日となえ
千日祈った。

父が亡くなり苦しかったから
少しでも父の為になればよいなという意識もあった。
しかし、なにも楽にはならなかった。

またある日、本を読んでいたら
人は亡くなると 霊界に行き修行する。
そして、人間界に行き
守護霊となって人を助け、自分たちも
修行すると言ってる。

そうなの?
でもおかしくない?
霊界で修行したら
人間界に来ないで
天界に行けばいいじゃん。
なぜわたくしたちの人間界にきて
一緒に修行しなきゃいけないの?

???

ずっと疑問に思っていた。
ある日、わかった。
頭の蓋が開くという神秘体験した時
私の魂はどこも通らずに天とつながった。
人間界の上にある霊界とやらも通過しちゃった。
変だな
勉強した通説とちがう。
変だな。

結局 わかったのは
こういうことだった。

天界とは人が魂を媒介してつながっている。
亡くなった方々がいる幽界は
天界とはつながってないから
人間界にくるしかない。
私たち人間界、それも血を分けた
DNAをたどりやってくる。
そして
わたくしたち人間にくっついたりする。

幽界にいるならまだよい
幽界にもいかずに
自縛霊になったり、
わたしたちに憑依したまま
浮遊霊になったりもしている場合もある。

たいていは、思い残しがあること
執着があること
信仰心が薄かったなど理由があるようだけど
亡くなったら
霊界に行ってお勉強しなきゃならないと
知らないといつまでも、この世の
見えない世界でフラフラしちゃったりする。

霊にはパターンがあります。
●亡くなってから行くべき幽界や霊界で
修行するなりして
年忌がきたらやってきて
子孫の祈りや、お経などで天にかえる。

●信仰心があり、心の整備ができて
思い残しのない霊は
亡くなったら四十九日以内で
人生を振り返り、天界にいけます。

幽界は天界にいけなかった方の
中間地点。

だから、セッションしてみると
ご先祖が出てこられる場合がありますが
その方から二回霊として
出ることがある。

一回目は亡くなって、執着などがあり
行くべき場所にいけなくて、
霊界(幽界)に送る場合。
そして、霊界で勉強して
二、三年たつと、最終的に
グループソウルに帰るために
出てくるパターンと二通りある。
もちろん、すでに霊界に行き
あとは、天界に行く準備の方もいる。

霊は天界の下にある 
グループソウルの場所に
帰り、生まれ変わりを待ちます。

絵にしましたが
私たち人間は本来
宇宙からの霊光線が繋がっているそうです。
だから、
幽体離脱しても戻れるわけですね。

ハートの傷を解消し
意識の軽やかさを取り戻せば
先祖を天におかえりいただけるから
みなさん、
高い波動につながりやすくなれます。

レイキを伝授させていただいたかたは
特にわかりやすい。
まず、車のナンバーが
777とか111とかゾロ目になったり、
目にすることが、現実になったりシンクロしたり
切り替わり始めます。
メッセージが降りたり、シンクロばかりで
なんだか、自分のスピリチュアル度が
高まったのがわかるでしょう




3次元から高い方に順にある次元は
10次元とかまであるらしく、
それはもっと上もあるそうで
神世界、天上界とかまであるみたいです。

私たちは3次元
4次元は感情
5次元は意識
6次元は潜在意識→ここまでは自分でわかりました
7次元以上は神の領域らしい

なので、
前に戻りますが
亡くなると幽界にゆき
修行する先祖たち
そして、人間界にちらちら戻っては
帰る。私たちの祈りや
私たちの行動や思いを感じたり
理解しながら勉強されるようです。

いつか、わたしたちが
覚醒するのを待っているご先祖たち。
私たちは先祖の代表だから
私たちが良くなれば
先祖たちも高い場所に
いけたりするんですよ。

だから、私たち手を合わせるのかもしれません。
と、いうわけで
最終は自分がよくなること
魂の痛みや傷を取り除くこと
笑って暮らせる自分になれば
神世界に近くなるわけです。

これは、現世のうちに
やってしまわないとね。
天界行きの切符は手に入りにくいわけだから。

そんなわけで
先祖供養といいますが
あなたという先祖の代表が
良くなることを祈るばかりです。
あ、そうそう
何故だか、亡くなった方って
夕方4時に帰るの
空を赤く染めて。。。

不思議なものですね。






マリア拝