エドガーケーシーセンターの
テンプルビューティーの光田菜穂子さんから
発行されていた メルマガの記事です。
ケイシーからのお話
感銘をうけます。
わたしもヒプノセラピーなどを
やってきていると
なるほどなあと
思う事があります。
やったことしか戻らない。です。
では、読んでみてくださいね。
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最近は、もうあまり話題にならなくなりましたが、イラクのアブグレイブ刑務所であった
虐待のニュースに心を痛められた方も多いのではないかと思います。私もあの写真にはひ
どくショックを受け、ニュースが流れるたびに吐きそうでした。
その刑務所では、もともとフセイン時代に
残虐な行為が多くあったそうですね。その残虐
な波動が、普段の生活では顔を出すことがない人間の邪悪な部分を、増幅させてしまった
んでしょうか?
それとも、そういう場所で働くことになったのは、同じような波動が引き寄せたので
しょうか?
あるニュースでイラクの人が言っていましたが、イスラムの人は、たとえ夫婦間であって
もあまり人前で裸になることはないそうですね。そういったイラクの人たちを辱めて記念
写真を撮るという行為。
ニュースで見せられた私たちにも、
心の奥底にズーンと重いもの
を乗せられたような感じでした。
私はケイシーのあるリーディングを
思い出していました。
エドガー・ケイシーのリーディングについて
書かれた本の中でも、最も有名な本といえる
「転生の秘密」に「嘲笑の罪」とカテゴライズされたカルマがあるのをご存じでしょうか。
(第5章です)
そこに、何例か、過去生で、人を嘲笑したことによって身体が不自由になってしまった人
たちの話しが紹介されています。
36歳のときに小児麻痺で歩行不能となった
女性へ・・・
「この人は(ローマ時代)、闘技場で足が悪くなったものに嘲笑をあびせかけた」
生後6ヶ月で小児麻痺で身体が不自由に
なった女性には・・・
「この人は(ローマ時代)人間と人間との闘い、人間と猛獣との闘いを特等席で眺めた。
現在彼女が受けている肉体的苦悩の大部分は、当時、命がけで戦う人々の悲惨な状態を見
て笑ったその嘲笑に原因がある」
16歳のときに交通事故で半身不随となった
男性へ取られたリーディングでは、
彼が半身不随の身となったそもそもの原因は、約2000年前に彼がローマ軍の兵士だった
ときにあると述べられています。
ここで、そのリーディングの訳をご紹介したいと思います。
「彼は、闘技場に入れられたキリストの
教えに忠実なクリスチャンたちの苦しみを
見て得意になった。彼は闘技場で戦い、
彼がそこで対戦した多くの人々が、
後に猛獣と戦うのを見物した。
この人は多くの苦しみを眺め、それをものの数ともしなかった。それゆえ、
この人は現在、自分自身の中に苦しみを経験し、それを軽んじなければならないのだ。
その当時、彼があざ笑った神への忠誠が、
自分の犯した罪をつぐなうために、彼自身のなかに生まれなければならない」
つまりここでご紹介した3名の方々は、人々が苦しむのを見て楽しんだり笑ったりしたこと
への罪を、2000年後、身体が不自由になることで償わなければならないとケイシーに言われ
ました。
なんだか、同じようなことが目の前で起こりつつあるような錯覚がおきませんか?
おそらく当時、ローマの多くの人々が同じように競技場で、人々が猛獣に食い殺されるのを
見たのでしょう。ですから、そこにいた人には、みな同じようなカルマが生じただろう、と
か、身体が不自由になった人は過去、同じようなことをしたんだ、とは、決して思わないで
頂きたいのですが、人の尊厳を低くめる、
人の苦しんでいるのを見て笑うという行為は、私たちの想像する以上に、霊的な傷を、
人にも自分にも負わせているのだとリーディングは私たちに教えてくれます。
しかも、そのカルマが顔を出したのが、
2000年後なんですから。
どうかあのイラクの人たちとアメリカ兵に、神の恩寵がありますように!
・・・実は、ここまで読まれて終わりになると、カルマは神から受ける天罰のような印象が
ありますが、最後に、大ドンデン返しがあります。
半身不随になった青年へのリーディングで、ケイシーはこう付け加えています。
「彼は人々にとって祝福となるだろう。・・・彼は、神がその目的と願いをごらんになり、
他の人々が希望の光を見つけられるよう自らを人々への奉仕として、希望として、差し出
したのである」
残念ながら、彼が交通事故で半身不随の身と
なってそもそもの原因は、2000年前のローマ
時代に犯した罪に遡るのですが、それは罰を受けているのではなく、自分の身をもって、
廻りの人が希望を持てるよう、光を見つけられるよう、自らを奉仕として差し出した、と
いうことなんです。
私の好きなカルマを説明する言葉にこういうのがあります。
「金属が炉で熱せられるのは、金属が間違いを犯して、それを罰するために焼かれるのでは
ない。それは、金属の性質を改善するためにされるのだ」
人々を嘲笑ったという罪に、彼は2000年かけて償う準備をし、そして2000年後、不自由な
体を通して、廻りの人々にいたわりや愛を伝えるという償いで返したんです。そして、実際、
彼は自分のハンディキャップをものともせず、人々に希望を与える素晴らしい人になったそ
うですよ。
※どうしてそれ以前の人生で、この嘲笑のカルマを返さなかったか、については、「転生の
秘密」の第7章(停止中のカルマ)に説明されています。簡単に言えば、それ以前の人生で
は、そのカルマを返せるほど魂が成長できていなかった・・・。
目には目を、歯には歯を、というハムラビ法典(なつかし~!)とは違う宇宙の法則、カル
マの働きをここで見るようです。
イラクの兵士の話から、話が移行してしまいましたが、人の尊厳を低めること、人の苦しみ
を笑うこと、もしかしたら、それは2000年間、魂が準備をしないと返せないくらいの深い罪
なのかもしれません。
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素晴らしいですよね。
わたしは、自分を通してカルマとして現れる
理由や原因をとことん突き詰めたことがあります。
結論は
自分を痛めつける行為は
後々生まれ変わり自分に還ります。
同じく、痛めつけられるのですが、
そこに気づきをもたらすために、
痛めつけられるのです。
そこから、なぜ自分は痛めつけられるのでしょうか?
と、気づかなくてはならないのです。
傷つける人は、わたしに傷を剥き出しにして
わたしに見せつけてくださる
傷つける主は、神様だなと思ってください。
あの人のおかげで、苦しめられた。
しかし、苦しめられたからこそ
私は、いまここにいる。
という、理由になります。
わたしは、苦しみ自分の魂を痛めつけた。
だから傷つける人がやってきて
また、傷つけてくれた。
でも、傷つけてもらってはじめて
傷が炙り出されたり
悲しみを捨てたいという自分になったのだから
結果は良かったのです。
魂の矯正のために
嫌なことはやってくるのです。
そこに気づくことが大切なんです。
わかったら、傷つける人から離れてよいです。
傷なんていらないのだから
笑って明るく生きる自分になるために
感謝や光を見つめるために
この世に舞い戻り、カルマを解消しようと
したのですから。
嫌なことから気づいてください。
傷つける人がいるのは
傷ついているわたしがいると。
では、なぜ傷ついているのか
自分を痛めつけているのか
探る必要があります。
カルマの不思議さ
神様の力
結局神は、宇宙は
〇を求めています。
欠けたり、傷ついているものをなくし
綺麗に、なるためなんだと思います。
わたしは感じています。
魂は私たちの性質を変えるために
熱せるようにして
矯正し、蘇るように自らが
決めてきたのだなと感じます。
マリア拝