建国記念日ってなに?


って、みなさん意識あまりしませんよね


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/建国記念の日


神武天皇が国を作ったのはいつか?


西暦に660年足したものが皇紀になり

皇紀2682年が今年。

皇紀元年2月11日に神武天皇が橿原で建国されました。

と、言われています。


実は橿原ではなく

柏原だったという話があるのです。

場所が少しだけちがいます。


https://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/866c4c2fd139ddcfe7ee35ee8263e2c1


私は関西に住み始めた折に

訪ねてみた。


この地の後ろに

小高い山があり嗛間の丘 ホウマの丘と

いいます。



神武天皇は九州から船に乗り



美々津から宇沙(宇佐)→岡田宮から

あちこち停泊しながら

和歌山竈山に行きましたが、

日本国以外の人が住みついていました。

和平を求めるも、戦いになり、

兄を失いました。

ご神託で、

東を向いて上陸するのがいけないと

神からメッセージをうけ

南側に降り、熊野から入った。


熊野には、ヤタノカラスさんたちが

お迎えに来てくださっていたわけです。

要は加茂一族です。(上賀茂や、下鴨などの元)

3本足のヤタノカラスは、カラスじゃなく。笑

鈴木、宇井、榎本 という苗字の一族です。

いま、ご子孫らが

和歌山にたくさんいらっしゃいます。


さて、そこから

川を上り、御所市の柏原まで到達しました。

記述があります。


神武天皇社の北にある本馬山(143m)は、

神武天皇が国見をしたといわれています。日本書紀の

神武天皇31年4月1日、天皇は腋上(わきがみ)の

嗛間(ほほま)の丘に登られ、国のかたちを見て

いわれるのに、「なんと素晴らしい国を得たことだ。

狭い国ではあるけれども、蜻蛉(あきつ)が

トナメしているように、(トンボが夫婦で連なる姿)

山々が連なり囲んでいる国だなあ」と。

これによって始めて秋津洲(あきつしま)の名が

できた。

 「ほほ」は火の穂、波の穂の「ほ」と同じで、

「まほろば」の「まほ」も同じ。「ほほまの丘」は

美しい丘という意味です。現在は本馬山と云うが、

頂上にハライタ山という土壇があり、

吾平津媛を祀った跡だと伝えられています。本

馬山の西の麓には本馬村があります。


この地に国を作るぞ!と

この地に先祖建国の神を奉り

決められたとのこと。


ここで、一つ悲しいのは

地元には部族がいて

和合を図るためだったか

お嫁さんだった吾平津姫を

離縁し、地元民を嫁にしなければならなかった。


昔はこの吾平津姫の社の道を嫁入り前の娘は

通っては嫉妬され、縁を妨害されると

伝説が出来たよう。

 

可哀想な姫

しかし、国造りをやらねばならない

神武天皇であれば

仕方ないことだったのかなと

想いを馳せます。


2682年前の出来事になりますね。

そこから存続している国


明日は神社に参ろう‼️








マリア拝