大学の社会人研究所で


グリーフ=悲嘆を学び


臨床傾聴師という資格をいただき


悲嘆を抱えた方々に寄り添う事を


仕事でしている。


基本は催眠療法士として


人々のあらゆる苦しみに寄り添いながら


過去の意識を洗い出し


心理学的手法から


こころを外在化させて見つめ


自分のハートを洗い出してゆく。


そんな事を仕事としてしているが


催眠療法の中でグリーフに向き合うことは


当たり前にある事だ。


グリーフは『死』に特化した事だけではないが


『死』に向き合わなければならない時は


ことさらになにか深い想いが


ふつふつと胸の奥から浮かび上がる。


それは、長いこと生きていて


『死』という場面に出会うことが多いからなのか


自身が親の突然死というものを味わったせいなのか


わからない。


『死』というテーマに


向き合わねばならない人の性に対して


なんらかの答えを見出したいという


欲求からなのかもしれない。


かつて


父親が突然、亡くなってしまった時に


味わった喪失感は簡単に終わりには


ならなかった事を想う。


仕事をしながら、『死』を前に


悲しみを募らせている人々に対して


なんらか手助けができないかと考えているからの


学びをしている。


答えの出にくいグリーフ=悲嘆や喪失について


幽霊や、霊が視えたなどで


解決はつかないけれど


それで、こころが慰められるのであれば


認めて受け入れていくことが


科学でも必要なのではないかと考える。



さっそく、読んでみたいと思う。



https://globe.asahi.com/article/14116236?fbclid=IwAR2beVX0E_DZzGYDD9Zbqqh-sEkez_PX4Oj2A7-QCUIa9k9kAoQwzOXe4gQ








マリア拝