1986年から 神社まいり・・各地行った。

一番最初は・・富士浅間神社 

神様に「人のお役に立てるような人間になりたいのでよろしくお願いいたします」
とお祈りした・・・。

そののち 神道の勉強が始まって 祝詞あげつづけてきた
天河弁才天社に導かれ 1988年 初めて行った。
まだメジャーじゃなくて とんでもない秘境だったので
大変な時代だった。懐かしいね。

いろいろ出かけたのは2000年になってから・・
その中で懐かしい・・と思える神社があった。
ひとつは 奈良の葛城山の麓にある
高天彦神社

もうひとつは 天の橋立 籠神社
どちらも行ったときから 懐かしくて
今すぐここに住みます! と言いたくなった場所。


奈良は大好きで 今も住みたいと思う。
今日は高天彦神社を思い出していた。
ここは山の中腹にも 奥宮があるが
里宮を載せます。 里宮といっても 山の麓なのですけどね・・・

ここの伝承が以前から気になっていたのですが・・

WIKでは
良県南部の御所市高天。金剛山麓に広がる台地上に位置する。古くは葛城といわれた地域で、そこにそびえ立つ金剛山は、古くは高天山といわれていた。付近は天上の神々が住んだ高天原の伝承地で、ここに所在する高天彦神社は、延喜式では最高の社格とされた名神大社で、祭神は葛城氏の祖神高皇産霊[たかみむすび]神。社殿後方の白雲峯(694m)を御神体とする。参道の両側には杉の古木が立ち並び、神さびた雰囲気を漂わせている。江戸時代初頭までは、この地が高天原だというふうに考えられていた。

万葉集にこんな歌が

葛城の 高間の草野 早知りて
かづらきの たかまのかやの はやしりて

      標刺さましを 今ぞ悔しき
      しめささましを いまぞくやしき     作者未詳巻7 1337
                         
葛城の高間の草野を早くに知っておればシメを立てたものを、今となっては 悔しい!
という意味だそうです。 

高間のような良い土地の利用権を他の人に取られた、「なわばり」争いに負けて悔しい!と謡っています。

「標(シメ)」とは場所の領域を示すもので、縄などで結んで印(しるし)としたり木をたてたりして立ち入りを禁止、占有の意思表示をするものです。

との解説
↑ 昔はそういう習慣があったのですね。

これは嫁とりの歌という話もありますが 私は
このすぐそばに土蜘蛛塚もありますので
土着の神たちが 負けてこの地を断念した歌なのかなと思うのですが・・

いかに・・

さて 私は奈良をあるくと 悲しい想いが来たりいろいろ・・
歴史の古いところはやはり 想いもありますからね。
大好きな場所ですが 神様も人でしたので いろんな想いが残されているのであろうと
思います。


🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀

初めて行ったのは

2005年  ヤタノカラスの一族の方と。

待たれていた気がした。

偶然はなく、その方に会ったのも

必然だったのですね。

あれから、場所も整備されている

肺が強ければ山に登り

中程にある奥宮に行きたいのだが


今度仲間と関西ツアーしたいなあ








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