フェアトレードに関する私見を述べさせていただきます。
完全に内向的思考を思いっきり外に出したものなので
めちゃくちゃ意味不明になってますので
見ない方がいいかもです☆ww
フェアトレードがなんたるものかは
wiki先生等ご参考下さい。
では参る。
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フェアトレード(以下FT)は貧困撲滅を掲げるが(定義上でなくそれを勧める人々において)
そもそも個々における貧困の定義は
恒久的な平等社会をうたったものではなく
絶対的貧困、ひいては相対的貧困の解消を基にする
重要なのは先進国と同等の経済力をつける事を
目的としない概念であり、そこに限界がある事を認識する必要はある
さらにその絶対的貧困の撲滅でさえも
(貧困の定義は主に3通りあるが、ここでは少し古めの絶対的貧困を採用)
FTの場合これはきわめて限定的であり
いやむしろ限定的発端から始めざるを得ないシステムがあるがゆえに
開発途上国内でのさらなる格差を生み出しかねない概念でもある。
評価すべきはそのコミュニティないでの優位性の確立が
多少なりとも伝播する可能性にあるわけで(あくまでその限定的効用範囲に置いて)
その電波により「当該地域内での」貧困ライン超えに貢献する例は見られる。
しかしそれは限定的であることを重要視すべし
「FTが世界を救う」ってキャッチは理想論を掲げすぎって
個人的には思う。
「国際協力=international corporation」は字のごとく相互作用の要素が必須
FTが包括的全世界的ムーブメントになりえないのはその相互生が弱いからでは?
とくに先進国における「作用」においてそのメリット提示、総量、効果共に弱い。
CSRとしての導入は年々増加傾向にあるものの
そのCSRが企業の円滑な運営に組するものであり
そもそも動機が道徳から来ているものではないという定義もできるので(カント的には)
質的意味においてそれ自体が大きくなる見込みは少ない
さらに先に述べたように効果は限定的
個人へまでFTに関する「動機」へ落としこむ
そもそもFTを買う事の動機は
かなりの場合その人個人自身へ帰依するものである。
それは個人的な同情心からかまたは商品自体への愛着かはともかく
その動機は個人に起因するものである
選択機会という枠組みの中にあるFTの概念は
その個人の動機を売り手or活動家or啓発人がどう扱うかにより
買手への効果も異なる。
目立つのは、そしてかなり個人的に疑問なのは
「義務」を明示しようとする宣伝、啓発の仕方。
「我々は恵まれているから貧しい人を助ける義務がある」
きれーなお話だけれどもね。
僕はロールズ的な立場です。
ベンサムなら否と答えるかね。
これを批判するのは
美徳というか道徳心からであろうけれども
じゃどこまで出す?
アフリカの子供1人の食事20円ならば出す
50000人分の100000円は出すか?
答えはどうあれ
ここで言いたいのはFTの参与者の
多くの行動規範は概念的なもの、感情的なもの、道徳的なもので
ある場合が多いのではないかと言う仮説。
義務じゃなくて、世界経済的に果たす義務ではなくて。
そしてFTのよい点はその思想の伝播にあるような気がする
でも実際に買手は買って満足なんだよね。
そしてそこにさらなる伝播の可能性はあるんだけれども
それ自体が個人に起因するから
結局その効果も限定的……
「国際協力」「協力」の概念を呈すのは
その先進国側の「選択」の余地があり
それを支配するのは「義務」であるべきじゃないんじゃないかね。
ここの概念におけるgoalを世界共通の形而上のものに据えるんでなくて
そこに義務なり制度なりをこじつけるのではなくて
goalを個別に用意してそれぞれの効果ベクトルの長さを一致させようとする仕組み
って必要だよね
「お買い物からできる国際協力」
見事なキャッチフレーズw
「できる」のはしなくてもいいという許可のニュアンスもあり
だからこそ気軽さもあり。
買い物という概念がまぁ先進国側のメリットとしてはイマイチ弱いけども
(それ自他が拡大するという意味において)
それでもメリット提示できているから
ありっていえばあり
ないっていえばない
理想論は嫌い。
て思った深夜4時ww
ねよー