ひむかふぇ  ~俺から糖を取ったら何が残る!~ -43ページ目
はい、大冒険まだまだ続きますよ~

長篠・設楽が原の散策は終了し

まずは最寄りの道の駅で土産を

うめじゃん


スイーツて書いてあったので買ってみたら

甘~い梅干しでした

おかしわ

餅の部分がふんわりした生地

新食感で美味しい

その日の晩ご飯

帰り道の途中で見つけた蕎麦屋さん


信玄天ざる

シンプルに美味しい

そば湯も美味しいしつゆも美味しいもちろん天ぷらも

でも、最近思うんですが、蕎麦屋さんのそばって

味薄くない

スーパーのそばに慣れすぎ

でも、ここ凄い混んでた

この日の宿泊は愛知県岡崎市

岡崎城のすぐ裏

そしてホテルでは道の駅で買った

ガトーショコラ

美味しい

疲れが取れる一品

この日は即爆睡でした

今日は続けますよ~

続いては設楽が原古戦場周辺へ

信長本陣
信長好きの二人が一番来たかったトコロ
ここ茶臼山に本陣を置き、信長が唯一詠んだとされる詩が残されています。また、茶臼山は「高貴な人の由緒のある場所」だそうで、全国にもあるそうです。(調べてみてみ)
すぐ裏に高速道路が工事中 歴史好きにはこういうのすごく残念なんだけど、そこにPAが造られていて、PAからこの本陣跡に行けるようになるそうです。

信長本陣のすぐ後ろには秀吉本陣があります

家康本陣 は時間の都合で前を通っただけ 小高い丘の上なんでね

そして突然田んぼ脇にガイドさんが車を止めて

ではここで設楽が原古戦場の全体像を見てみましょう

と一段上の道路上へちょうど全体が見渡せるように歩道上で広くなった場所があります

そこで設楽が原古戦場の屏風図を広げながら説明してくれました

屏風図と現地を見比べるとよく分かります。屏風図通り!ガイドさんが続けます

見ていただいたら分かりますが、家康本陣が最前線なのが分かりますよね

武田・織田から比べたら徳川は本当に小さい大名というのが分かりますね

そして信長本陣はあんなに後方。何かあったらいつでも逃げられるように・・・


そんな言い方しないで~と心の中で思ってました

見比べてもらうと分かると思いますが
真ん中が連吾川 川って言っても田んぼの中にある小川ってくらい小さい川。しかも拡張工事後でこの幅なので当時は・・・ね。

家康本陣が田んぼを挟んだすぐ側・・・最前線すぎだね

その左に家康の嫡男徳川信康本陣 ガイドさんが嘆きたくなるのがよく分かる

そして家康本陣の奥が見えないけど信長本陣 確かに遠いね

そしてこちらも楽しみだった長篠・設楽が原の戦いといえばコレ

馬防柵

織田・徳川で馬防柵の作りが違います。織田は馬防柵と馬防柵の間に隙間がありますが、徳川は馬防柵が重なっています。
最前線だからその間から敵に入って来られないようにするためかも?

続いては設楽が原歴史資料館

こちらは今までに見たこともないような鉄砲が展示されています。
また、長篠・設楽が原の戦いの2年前の三方が原の戦い後、信玄は病死(?)するんですが
その時に信玄を暗殺するために使われたと言われる鉄砲も展示されています。

写真が横向いてしまいましたが、資料館に飾ってあった写真
「乙女の一撃」

こちらは資料館のすぐそばにある

信玄塚

大塚は武田軍、小塚は織田・徳川軍の亡くなった方々を地元の方が埋葬されています。
なぜ「信玄」塚なのか?この合戦の時、信玄はすでに亡くなっています。
戦国時代の武田信玄は戦国最強とも言われるので、その信玄に勝ったといことをアピールしたかったのでは?とガイドさんが言っていました。。。

最後に集合場所の長篠城址に戻る前にガイドさんが

勝頼の撤退路を見に行きましょう


まずはその手前で武田重臣馬場美濃守が勝頼の撤退を見て迫る敵に首を差し出したとされる場所


川に石橋がかかっている辺りから勝頼が撤退したとされています。ちょうどその辺りが一番川幅が狭くなっているから・・・だそうです。

これでこの長篠・設楽が原の古戦場の観光ガイドは終了

短時間なのに詰め込んでしまったけど、本当に色んな所が周れて本当に楽しい一日でした

ガイドさんありがとうございます!


お待たせしました?!

今回ガイドさんに依頼したのは

長篠城址、勝頼本陣、大通寺盃井碑、鳥居強右衛門墓、鳥居強右衛門磔死之碑、長篠役設楽原決戦場、信長賞詞地、信長本陣、家康本陣、馬防柵、設楽が原歴史資料館、信玄塚

かなり濃い内容ですので、時間的に厳しいかもしれませんがなるべく回れるようにします

と言われるくらい詰め込みました

まずは待ち合わせ場所の

長篠城址

寒狭川(豊川)と大野川(宇連川)が合流する場所に突き出した断崖絶壁の上にあり、南や東西に二つの川と断崖絶壁に守られた天然の要塞。本丸跡からは少し見づらいですが、それでも断崖なのは分かります。また弱点である北側には、堀や柵を作って守りを固めてあったそうです。


左右の川に挟まれたトコが長篠城址



堀の一部を線路が・・・

こちらは高速が砦をぶち抜きました

大通寺盃井碑
信玄時代から仕えていた山県・馬場・内藤・原などの武田二十四将が設楽が原決戦前に、討死覚悟の別れの盃を交わしたとされる場所

勝頼本陣
医王寺に本陣を置き、その後ろの山に櫓を建てて、長篠城を見ていたそうで、その櫓が再現されています。また、医王寺そばの池には方葉の葦が生息しており、決戦前夜、勝頼の夢に葦の化身が現れ、「戦に負けるので、やめて甲斐へ帰りなさい」と言ったのを怒った勝頼が化身を切り付け、それからその池の葦は方葉になったと言われているそうです。

櫓から見た長篠城(赤で囲ってあるところ)

よく見ると方葉もある?

鳥居強右衛門墓、鳥居強右衛門磔死之碑
長篠・設楽が原の合戦といえば、鉄砲の三弾撃ちと同じくらい有名な人物ですね!落城寸前の長篠城から抜け出し、岡崎城へ援軍要請に行った帰りに武田軍に捕まり、「城に向かって、援軍が来ないと言えば、命は助けてやる」と言われたのに、「援軍は2~3日のうちに必ず来る」と言って磔にされたといわれる一足軽です。近くにお墓もありますが、元々は現在工事中の高速道路上にあったそうですが、移転されたそうです。元来は周りに木々が植えられ、(世間一般の高貴な人のお墓のように)立派なお墓だったそうですが、今回見ただけでも一足軽のお墓にしてはかなり立派でした。地元の英雄とされているのがよくわかります。


一足軽(今でいう一般人)の墓にしては立派すぎますよね

ここで、ガイドさんが「鳶ヶ巣砦から長篠城を見てみましょう」と鳶ヶ巣砦へ。。。しかし、ここは山道で車一台しか通れず、「一方通行ですか?」と聞くと「いいえ」と・・・その直後、本当に対向車が!!!対向車が下がって(登って)少し広い所でよけてくれましたが・・・いらん事言ったかな? さらに砦跡から少し下ったところから見たんですが、その傍に1軒家が! しかも庭では蜂蜜の箱が!周りにはもちろん蜂が飛んでます
砦跡から少し下って開けたところから長篠城が丸見えでした。こんな砦を5つ作って囲っていたのですから、本当によく持ちこたえたなと実感しました。

手前の赤丸が長篠城 奥の赤丸が信長賞詞地

信長賞詞地
設楽が原合戦後、落城せずに持ちこたえた長篠城城主奥平氏を信長が褒め称えた場所とされています。

まずは長篠城攻めの跡地をお送りしました