今回ガイドさんに依頼したのは
長篠城址、勝頼本陣、大通寺盃井碑、鳥居強右衛門墓、鳥居強右衛門磔死之碑、長篠役設楽原決戦場、信長賞詞地、信長本陣、家康本陣、馬防柵、設楽が原歴史資料館、信玄塚
かなり濃い内容ですので、時間的に厳しいかもしれませんがなるべく回れるようにします
と言われるくらい詰め込みました
まずは待ち合わせ場所の
長篠城址
寒狭川(豊川)と大野川(宇連川)が合流する場所に突き出した断崖絶壁の上にあり、南や東西に二つの川と断崖絶壁に守られた天然の要塞。本丸跡からは少し見づらいですが、それでも断崖なのは分かります。また弱点である北側には、堀や柵を作って守りを固めてあったそうです。
大通寺盃井碑
信玄時代から仕えていた山県・馬場・内藤・原などの武田二十四将が設楽が原決戦前に、討死覚悟の別れの盃を交わしたとされる場所
勝頼本陣
医王寺に本陣を置き、その後ろの山に櫓を建てて、長篠城を見ていたそうで、その櫓が再現されています。また、医王寺そばの池には方葉の葦が生息しており、決戦前夜、勝頼の夢に葦の化身が現れ、「戦に負けるので、やめて甲斐へ帰りなさい」と言ったのを怒った勝頼が化身を切り付け、それからその池の葦は方葉になったと言われているそうです。
櫓から見た長篠城(赤で囲ってあるところ)
よく見ると方葉もある?
鳥居強右衛門墓、鳥居強右衛門磔死之碑
長篠・設楽が原の合戦といえば、鉄砲の三弾撃ちと同じくらい有名な人物ですね!落城寸前の長篠城から抜け出し、岡崎城へ援軍要請に行った帰りに武田軍に捕まり、「城に向かって、援軍が来ないと言えば、命は助けてやる」と言われたのに、「援軍は2~3日のうちに必ず来る」と言って磔にされたといわれる一足軽です。近くにお墓もありますが、元々は現在工事中の高速道路上にあったそうですが、移転されたそうです。元来は周りに木々が植えられ、(世間一般の高貴な人のお墓のように)立派なお墓だったそうですが、今回見ただけでも一足軽のお墓にしてはかなり立派でした。地元の英雄とされているのがよくわかります。
ここで、ガイドさんが「鳶ヶ巣砦から長篠城を見てみましょう」と鳶ヶ巣砦へ。。。しかし、ここは山道で車一台しか通れず、「一方通行ですか?」と聞くと「いいえ」と・・・その直後、本当に対向車が!!!対向車が下がって(登って)少し広い所でよけてくれましたが・・・いらん事言ったかな?
さらに砦跡から少し下ったところから見たんですが、その傍に1軒家が!
しかも庭では蜂蜜の箱が!周りにはもちろん蜂が飛んでます
砦跡から少し下って開けたところから長篠城が丸見えでした。こんな砦を5つ作って囲っていたのですから、本当によく持ちこたえたなと実感しました。
手前の赤丸が長篠城 奥の赤丸が信長賞詞地
信長賞詞地
設楽が原合戦後、落城せずに持ちこたえた長篠城城主奥平氏を信長が褒め称えた場所とされています。
まずは長篠城攻めの跡地をお送りしました











