その13
「 養母からの 冷酷でオシャレな宣告 」
の巻
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1991年 20歳 大学2回生
(2年生ではないのです 関西の文化です)
突然 養母に呼び出された
養母の身体から異様なオーラを感じる
表情もかなり強張っている
嫌な予感しかしない
なんだか かつての「警察署デート」(詳しくは その8をご覧ください)した時の
まるであの有田警察署内での尋問を受けているかのようだ
もしかして ゴキ風味のカツ丼を出されるかもしれない
言葉は吐かなくても カツ丼は吐いてしまうかもしれない
養母は 低い声で威圧的に話し出した
「Kちゃんを籍に入れようと思ってる」
(Kちゃんは里子として 僕よりも数年前に
里親である岡野家に来ていた7つ下の女の子だ)
目の前が真っ暗になった
養子に来る前の約束では
「この子(Kちゃん)は籍を入れるつもりはないので安心してください」
と 仲介者の母の姉(養母の兄の妻)
そして母の前で宣言してくれてたのに・・・
そんなんありえへん!
そんなんやったら
僕はここ(養子)に来る決断は絶対にしなかった!
養女として最初からKちゃんで良かったやん!
養母「いいよね」(低声)
僕「・・・」
「和歌山のおばちゃん(養子縁組の仲介者である母の姉)は
このこと知ってる?」
僕は勇気を振り絞って言った
養母「Kちゃんが このままでは可哀そうでしょ」
「いいよね」(極低声)
恐ろしい・・・圧がものすごい・・・
逆らえば これからの僕への攻撃は増していくだろう
そう考えると 「YES」と答えざるを得ない
まるで踏み絵のようだった・・・
心が折れる音がした・・・
恐るべし岡野家・・・
僕は 小さくコクリと頷くと
満足気に そそくさと養母は去って行った
しばらく放心状態だった・・・
「僕の人生・・・ヤバい」と思った
この養子縁組で・・・
貧乏から出世街道へ?
誰や
「白羽の矢が立った!」
って言ったのは!
はい・・・間違いなくボクです(笑)
「白羽の矢が立つ」とは2つの意味がある
一つは 「多くの人の中から特に選ばれること」
もう一つは 「多くの人の中から犠牲者として選ばれること」
でも 前者 としてではなく
後者 として 当たっています(笑)
こんなん 絶対にアカンやつやん・・・
発言力を持つことさえも出来ず
すべて言いなり・・・
たとえどんなに 養父にいじめられてもぉ・・・
たとえ~どんなに 灯りがほしくぅ~てもぉ~♪
(ん? 山本譲二? ・・・ みちのくひとり旅!
(昭和でスマぬ! 若い人スマぬ!))
たとえ~どんなに フェフェフェ言われぇ~てもぉ~
たとえ~どんなに ゴキブチィ~されぇ~てもぉ~♪
ん? んんん!!
ここ(岡野家)でぇ~ 一緒にぃ~♪
死ねたらぁ~ いい~とぉ~♪
ん? んんん!!
お~かの(岡野家)が
俺には 最後のぉ~ 墓場ぁ~♪
そんなん・・・
絶対に・・・
「嫌やぁ~~~っ!!!!!!!」
元良(モトヨシ)ひとり旅はつづく・・・
「ホームレス中学生」よりも面白い!!
と話題になってきております
大きな波が来つつあります
是非 その1からご覧ください
面白さが倍増しますので(笑)
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