革命児信長【正六位下 佐渡守】 | ひむかのブログ

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最近思うのだが、織田信長というのは一週回って革命児なのではないだろうか?

 

最近の研究で信長が一般に言われているより保守的で伝統的な権威を大切にしていたことが示されるようになってきた。いわゆる革命児信長というのが虚像であるという説である。しかし、ここで一度立ち止まって革命児とは何なのかから考え直してみよう。革命というのは今までの状況をひっくり返すということだ。では、信長の生きた時代の「今までの状況」、すなわち室町時代とはどんなものなのか。これがなんかすごいのである。

 

これも近年の研究なのだが、なんか室町時代の人間って権威を自分に都合がいい判決を出してくれる存在と思っている節がある。権威が常に自分の味方をしてくれるなんてそれこそそんな都合のいいことあるかと思うかもしれないが、大丈夫、権威が自分の言うことを聞かないなら言うことを聞く権威と挿げ替えればいいのだから。それをあらゆる人があらゆるレベルでやっている。うまい具合に権威は分裂しているので選択の余地はいくらでもある。権威の側の人間も自分が権威になるために利用しようとする人間に媚びまくる。歓心を買うために朝令暮改も平気でやる。これぞごね得の時代。みんながごねまくっているのだから争いが終わるはずもない。

 

そんなところに「唯一の伝統的権威を押し立てて他を排除し朝令暮改を決してしない」ということを力ずくで実現したらそりゃ革命だろう。現在の基準では保守的になるかもしれないが、同時代から見たら革命的。そういうことは結構ある。信長にとって都合がよかったのは、押し立てた権威である天皇家があまりにも棚上げされすぎてその立場に魅力がなくなったためか、その時点で分裂しておらず対抗馬がいなかった点である。なので現朝廷の判断を最終結論としてもそれをひっくり返す存在を誰もつれてこられなかったのである。(朝廷の判断といっても実質信長の判断だろというのは置いておいて) それを意識してかはわからないが、いわゆる信長による朝廷への干渉は朝令暮改を諫めるものばかりに見える。

 

かくして朝廷の決断は変更できない最終判断となり、ごねる余地は失われる。ごねても得るものがなければ無駄な争いは誰もしたくはない。まあその後も紆余曲折はあるけど、かくして太平の世が出来上がったわけだ。